早く目覚めた朝は天気が良ければ海へ。雨の日はヘッドホンで映画鑑賞。
アランドロンの「太陽がいっぱい」とマットデイモンの「リプリー」を続けて観る。
どちらも原作はおんなじThe Talented Mr. Ripley
直訳すると「多才なリプレー氏」なのに何故、太陽がいっぱい?って思ってたけれど
このタイトルは素敵すぎる。深く意味を考えなくてもぎらぎらの夏のイメージが沸く。
誰が考えたかしらないけれど本当に見事なタイトル。あーなるほどと思うシーンがあった。
海面に反射してキラキラ光る太陽、あれは本当に見ていてあきない。この世界の美しさの象徴だ。
公開されたのは1960年(仏、伊)と1999年(米)、40年の時の差があっても舞台設定は同じ50年代で(じゃないとあの犯罪は成り立たない)どちらの映画も街並み、車、バイク、かばん、ワープロ、冷蔵庫、 全てのデザインが刺激的でかっこいい。音楽も、そして服も!
夏でも決してTシャツじゃないんだよね。素肌にシャツ、まくったパンツに素足で靴。
イギリスやアメリカのトラディッショナルな服をイタリア風に着崩すっていい。
宣伝じゃないけれどうちにはそんな服がたくさんあるんだよなぁ。ますます着たくなった(笑)
本当に太陽がいっぱいの夏、待ち遠しい。
あ、本日5の倍数30日ですが営業中です。GW中はお休みなしです![]()
GW営業のお知らせ
5の倍数が定休日となっていますが4月30日と5月5日は営業いたします。
4月26日から5月9日までお休みなしです![]()
GWにお会いできるのを楽しみにしています。
是非遊びにいらしてください!
2012 04 24
犬の夢を見た。
朝、テラスに傷だらけで寝ていた。
生きてたんだ!って窓を開け、抱きしめる。
よく見ると足におおきなケガをしてるみたいでうまく起き上がれない。
とにかく大声で相棒を呼ぼうとした。声の代わりに体がびくんと動いた。
それで目が覚めた。
犬は一匹だけじゃなく三匹いた。
後ろと横にいたのは、すくっと立った元気な姿だった。
元気かそうじゃないかの違いはあってもどれもおんなじ犬だ。
尻尾の長い黒い犬。
オンが死んでから散歩に行かなくなった。
オンが元気な時も散歩に行くのが億劫な時があって、
いつまで続くのだろう、犬が死ぬまでだから10年は続くんだ。大変だなと思った。
昨日、晴れたからいつものコースで散歩に行った。
一人で行くのも違和感を感じなくなっていた。
いないのはもう当たり前だ。
でも、誰もいない海で動画をとろうとしてどこをとっていいのか解らなくなった。
誰もいない海。
いつもは嬉しいのに。走り回る犬がいない。
帰り道は海と反対の畑のほうを通った。
もう犬のことなど忘れてる。
はずだったのに今朝の夢だ。
オンに起こされた。
今日の散歩は昨日と同じじゃなかった。
どこを歩いていてもオンが一緒にいる気がした。
リニューアル
4月から少し生活に変化が。
いろいろとルールを変えたら自然とスイッチが切り替わるようで面白い。
パソコンは自宅のみにしたので、日記の更新も朝飯前になった。その名の通りにさくさく更新しなくては。
毎日天気が落ち着かない。穏やかな春の日差しに喜んでいたら強風で洗濯ものが飛んでったり、黄砂が飛んでくるので窓も開けられなかったり。
桜が心配だ。満開の桜の写真毎日観れるといいな。twitterやfacebookのお友達のみなさん、どんどんアップしてください。
振り返ってそこから
一年というのは短いのか長いのか、あっという間だった気もするし、ようやく過ぎた気もする。
震災直後、翌日に控えた東京行きを迷いながらキャンセルし、ニュースで流れる被災地の映像を対岸の火事のように眺めた。普段通りに暮らすこと、日々の小さな幸せを噛みしめながら生きること、それでいいと、他にできることは何もないと自分自身に言い聞かせた。
日常ではない事、それは誰の身にも起きる。本当に辛い悲しい一日は人それぞれ違うものだ。
そして悲しみは人それぞれが抱えて生きて行くしかない。
3.11は多くの人がそれを共有した。みんなで乗り越えればいい。
でも悲しみを共有するより、嬉しいこと楽しいことを共有できるほうがいい。
だから悲しみ以上に嬉しいこと楽しいことがいっぱい待ってる未来を目指そう。前に進もう。
3月の定休日変更のお知らせ
3月12日(月)~16日(金)まで出張のためお休みいたします。
10日(土)20日(火)25日(日)は5の倍数ですが営業いたします。
30日(金)はお休みです。
ややこしくてすみません。
宜しくお願いします。

1980年2月14日
なんで毎年期待しちゃうんだろうな。
もしかしたら・・・・なんて。
いつもと変わらぬ一日なんだから、さっさとあきらめてまっすぐ帰ればいいのに、
用もないのに積屋の前でたむろして、楠田書店で立ち読みしたり、セントラル楽器でレコード物色したり、いつものもてないメンバーでうろちょろしても奇跡はおこらない。
案の定、寂しい気持ちで家に帰る。
クリスマスのケーキみたいにその日に食べなきゃってことはないんだけど
無性にチョコが食べたくなった。
仕方ない、自分で買うかと家の近くの小さな店に寄った。
レジの向こうに同じクラスの女の子が立っていた。
一瞬、なんでいるの?って思ったけれど、ここ彼女の家だ。
なんとなく恰好悪いからチョコじゃなくコーラをもってった。
100円払って店を出たら
その子が追いかけてきて「はい、今日バレンタインだから」ってチョコを一枚くれた。
びっくりして何も言えずにいたら「義理だからね」って笑って店に戻っていった。
それは何でもない一個100円のいつも食べてたチョコだったけれど、ものすごく美味かった。
それ以来自分で買うのをやめた。
これはもらって食べるものだと心に決めたからだ。
で、そのまま二度ともらうことなく32年が過ぎた。
※あくまでもフィクションであり、実在の人物、お店とは一切関係ありません。
日々
パソコンの小さな画面で悲しい映画を観た。
何でもない普通の日々の出来事が本当に夢のようにしか思い出せなくなるときがいつかやってくる。
突然やってくる場合とだんだんと近づいてくる場合と、どっちがより悲しいだろう。
淡々とした日々の暮らしの中でふとそのことを考えてしまう瞬間がある。
それは自分と愛する人(たち)以外、誰もいない風景のなか、本当に静かで鳥の鳴き声や風が木々を揺らす音ぐらいしか聞こえず、大体が夕方で陽は斜めから射し、その大切なものたちが逆光で透けてみえたりするときだ。
もう二度と帰ってこないその瞬間がとても美しく愛しく感じるのだ。
普段、「今」という瞬間を意識することはあまりない。
いつでもたんたんと時は流れて行く。
その、時の川の流れをもがきながらも必死に生きているのは常に「今」の自分であって過去や未来の自分ではない。
それはもう各々、思い出と想像の世界にしか存在しない。
しかし、今の自分を形成しているのが過去の自分であることも確かだ。
そして未来の自分を作るのは今の自分。
はて?「今」を生きるということは未来の自分のために何かを犠牲にして努力するということだろうか?
それとも、反対に未来の事よりも「今」この瞬間を大事に生きろということだろうか?
日々、何かを目標にして生きるという事は、積み重ねのようであり、実は
その都度、完結して明日には持ち越せないことだったりするのかもしれない。
一番大事なのは、一日一日を満ち足りて暮らすことだ。
それは仕事でも、家庭でも、身近にいる人、または遠く離れた場所にいる人でも、
今この瞬間を共に生きている人々、自分ではない誰かを楽しませることだ。
で、何ができるか考える。
本当にたいしたことはできない。
それでも自分にできることを一生懸命やるしかない。
そう、自分じゃない誰かのために。
いいわけ
休みの日のケンカは最悪だ。
原因は些細なことで、お互いに突っかかっていかなければ、なんでもないことだった。
だんだん声が大きくなって頭はたいたり、胸をド突いたり。
抱っこしてたチビはおびえて泣いてしまうし、冷静になれば本当に犬も食わないなんとやらだったんだけど、結局一日引きずった。で、一晩寝たらすっきり。あれは何だったんだろうと思うくらい。
でも、そういうおかしな一日ってあるのかもと思った。
なんとなくイラだって、ケンカの火種がふわふわ飛んでいて一色即発みたいな。
天気のせいだろうか?
この季節、島は雨が多く、都会のようにスッキリ晴れて(遠くに富士山が見えるような)空気が澄んで気持ちいいーって一日あんまりない。
本当はドライブして買いもの行ってお茶して食事して映画でも観たくなるような休日にしたかったんだけどね。
ごめんなさい。
年賀状
あけましておめでとうございます。
年賀状出せないまま年を越してしまいました。
送っていただいた方、ありがとうございます。
古いプリンターをだましだまし使っていたのですが、
ついに壊れてしまったみたいです。
新しいのを買わなきゃ。
写真間に合いそうにないので辰の絵でも書こうかと思います。
今年も宜しくお願いします。
