夜中に目が覚めて眠れなくなった時はHDDにため込んだ映画のビデオを観る。
途中でまた自然と眠くなったら寝るし、無理に寝ようとしなくても大丈夫。
と、自分のことならいいのだけれど、ちびに起こされるのはちょっと困る。
いつもは、しばらくあやしたりおっぱいを飲ませたりすれば、すぐにまた寝るパターンだったのに昨日はなかなか寝てくれなかった。仕方なくあやしながら観ようとTVをつけてみたが、ぐずるので集中できずにあきらめる。パッチリ目を開け、暑いのか、うーんうーん唸りながら首の後ろをぼりぼり掻きむしるのだ。
なんとか寝かせようと仕方なくドライブ作戦に打って出た。しかし夜中に目的もなくうろうろするのは辛いのでデザートでも買おうと龍郷のコンビニへ行くことにした。案の定すぐに寝たが、コンビニに到着し、エンジンを止めた瞬間にまた泣き始めた。そのまま何も買わずにUターン。また寝たのでそうっと抱きかかえて家に入り、恐る恐るベッドに寝かせたが、タイミング悪く僕がせき込んでしまい、また起きてしまった。
結局、同じことの繰り返しで家の中で抱っこしながらまたうろうろ。ようやくおっぱいを飲んで寝たのが4時半頃。起こされたのが0時半くらいだから約四時間の格闘だった。本当にもう・・
でも、朝ご機嫌で笑う顔を見ると全部吹き飛んじゃうんだよねぇ。いやぁ参った。
地球上のどこであっても原発なんていらない
ついに5月は丸一ヶ月のあいだ、日記の更新なしに終わってしまった。
こないだの台風が過ぎてからの三日間はまさに絵にかいたような夏の風景だった。
雨が降り続いていたそれまでの日々はうっとおしく時間がとまり、目や耳に入ってくるニュースも辛いことばかり。頭にきたり、がっかりしたり、悲しくなったりの連続。ストレスは溜まる一方だった。
たとえば、真冬に靴下履いまま厚い布団をかぶって寝てしまい、のぼせて布団を蹴飛ばして起きたいけれど
ものすごい力で上から押さえつけられてジタバタしてるみたいな、もしくは大雪の日にぶくぶくのダウンジャケットを着たまま満員電車に乗ったら途中で電車がストップしてしまい、窓も開けられず、知らない人と密着したまま身動きできなくなってしまったような、本当に息苦しくてそのうち頭の中がちりちりなって爆発してしまいそうな・・・
そんな気分だった。
雨の中を思いっきり走ってずぶぬれになったら少しは気分がスッキリするかもしれないとか、ジャックの豆の木みたいに空に昇っていって分厚い雲をかきわけ、青空を見つけてぶはーって思いっきり息を吐けたらどんなにいいだろうとか・・・もっと身近で現実的にビールを飲んだりコーラを飲んで思いっきりゲップでも吐くかと思ったけれど、やっぱりため息しか出ないような気がしてやめた。
台風の夜は本当に怖かったが、通り過ぎた日の朝の鳥の平和なさえずりや海や空の青さは爽快で、一気にその溜まったストレスを遠くのほうに押しのけてくれた。やっぱり、僕らは自然の中で生きているし、生かされている。怒ったり泣いたり笑ったりしながら共に生きている。人間の都合のいいように変えようとするのが大きな間違い。
これだけ苦しめられても、未だに「安全に注意しながら推進していこう」っていう人の気持ちが解らない。
もうこれ以上自然を破壊する必要はない。産業や経済の発展なんてくそくらえだ!
美味しいものを食べてみんなで健康に笑って暮らせればそれだけで充分。
GWの営業のお知らせ
4/30と5/5は5の倍数ですが営業いたします。
代わりに5/6(金)がお休みとなります。
宜しくお願いします。
CAFE&WINE AD(anno domini)
25年も前の話。
僕らはみんな居場所を探していた。
大学や専門学校、予備校などを辞め中途半端な時間を生きていた若者たち。
食べるため、家賃を払うためにお金を稼がなければならない。
当時アルバイトはたくさんあった。
都会の一人暮らしでバイトをすることは生きていくため、お金を得るために必要不可欠なことであった。
が、それ以上に大切なものがそこにはあった。
毎日約束などしなくてもそこに行けば会える友達がいるということが何よりも嬉しかった。
学校を辞めて、どこにも行くところがなかったから毎日何をすればいいのかわからない。
生きていくために働かなければいけない状況は今思えばありがたかったのかもしれない。
家にこもるなんてありえなかった。
将来の事、ぼんやりとした未来への夢はたくさんあった。
しかし、どこをどう歩けばそこにたどりつくのかわからない。
決まったレールなんかはない。
普通に毎日学校に通ってちゃんと卒業したらその先の見える道はあったのだろうか。
僕が見つけたバイトは有名な珈琲チェーン店が手掛けた当時流行り始めたカフェバーだった。
オープニングスタッフ募集、 それが一番の魅力だった。
バイトとはいえ、新しく始まることに参加できるのが嬉しかった。みんな同じスタートラインに立つ。
チェーン店から配属されてきた店長はなぜか3人もいて、みんな若かった。
学生時代からバイトしていてそのまま就職した口。
バイトの僕らと4つくらいしか変わらないのに彼らはみな大人にみえた。
その中の一人は奥さんもいて、お腹には赤ん坊もいた。
お酒が好きで音楽が好きで映画が好きで、ちょっと先をいく愛すべき人生の先輩たち。
そんな若い店長たちのもとに僕らプータローが集まった。
中にはちゃんと大学に通っているものもいたが、多くは休学中や、僕のようにドロップアウトしたもの、高校を卒業したままアルバイトをしてるもの、浪人生とさまざまだった。
早番、遅番、深夜番とわかれていて全部で15人くらいだろうか。とにかくたくさんいた。
今でも全員の名前と顔を思い出せる。僕は時間が自由に使えたので早番も遅番も深夜番も全部経験した。
忙しいのは昼間のランチの時間くらいであとは大体暇だった。
特に深夜はお客さまが一人もいないなんてしょっちゅうで、みんなでぼうーっとモニターを眺めることが多くなった。
店には当時の流行りで何台もテレビのモニターがあった。
今みたいに薄型じゃないから壁やテーブルに穴を開けて綺麗に平面に見えるよう埋めてあった。
最初はモルジブなどの海を撮影した環境ビデオを流すように決められていたみたいだったが、
僕らは自分たちの好きな映画や音楽を流した。業者から貸し出されるものもあったし、テレビで録画したものもあった。
MTV全盛期でベストヒットUSAやポッパーズなど音楽番組もたくさんあった。
僕はそのためにローンを組んで、出たばかりのビデオデッキを買ったりしたんだ。
レンタルビデオも流行り始めた頃で、3人の店長の中で一番不真面目だった燃えよデブゴンのサモハンキンポウそっくりなシミテンがAVを借りてきたことがあった。
その夜は早めに看板を下げて、誰も入ってこないようにして店長二人、バイト二人の男4人でこっそり観た。
この辺は早番や遅番の連中には内緒の話。
店中が桃色の裸とあえぎ声で占拠された。昼間、近くの女子学生で埋め尽くされ、きゃっきゃと明るい声が響く健全な空間とは偉い違いだ。
ときどきネズミの走る太陽の光も届かない地下室。
眩しい早朝の光と、街ごとざわつく昼間、ちょっとやすらぐ夜、ぐっとさびしくなる深夜、その全部の記憶に、旨そうな匂い(上のシェーキーズからか)と氷のカランとなる音、それから80年代のヒット曲がくっついてくる。
狭い空間の内側からいろんなものを見て、聞いて、いろんな人と触れ合って、それから外に向かってたくさん空想した。
まだ自分がどうなるか解らない、不安で仕方ない時期だったけれど、でも本当にわくわくしてた。勘違いでもなんでも未来の夢を見るのは大事だと思う。
そういう時間を与えてくれる場所だった。
みんな元気かなぁ。また集まってみたいなADで。
うさぎのおじさん
日記を書けないのはネタがないからではない。
更新しなくても何も問題ないからだ。
しかし、毎日誰かの書いた言葉は読んでいる。
何もしゃべらず、人の言葉を聞くだけでも許される。
日常は他人と接触することで動く。
朝起きればすぐそばに相棒と赤ん坊がいる。
大抵泣き声で始まるがたまにご機嫌な笑い声のときもある。
一緒に、ご飯を食べて、お風呂に入って、
店を開けて、お客さんがやってきて、笑いながら話して、
そうやって一日が過ぎていく。
そうやって幸せな毎日が繰り返される。
でも悲しみもいつもどこかに潜んでいる。
ずっと遠い外国のような場所で起きる出来事もあれば、島のなかのすぐ近くで起きる出来事もある。
ニュースで知ることもあれば、全く知らずにすむことも。
知ってしまった悲しみが頭の中の想像であるうちは、目の前の日常にピントを合わせれば
いつでも明るい気持ちに戻れる。
だからあんまり想像したくはないがあえて想像してみる。今の幸せがいっぺんに消えてしまうことを。
今、目に映るものがいつかはみんな消えてしまうのは解っている。
でも、それはずっとずっと先のことだろうと考えてる。
誰もが突然やってくる悲しみのことなんて考えないのだ。
でもやってくる。いつか必ず。
その人が書いていたものも幸せなのんきな日常だった。
日々の暮らしぶりをいつもたんたんと文章にしていた。
毎日書いているものを誰かが毎日読む。遠く離れた場所で。
僕もその誰かのなかのひとりだった。
ある日、その人が僕に言った。「毎日詩を一遍ずつ書いて送りなさい」と。
一遍くらいなら楽勝だと軽く返事をしてしまう。
だが、しばらくして、毎日書くことの苦しさから僕は逃げた。
その人は続けることの大切さを僕に教えてくれたのに。
友人が去って行ったような気分とあとで日記に書いてあった。
僕はそれからその人の日記を読まなくなった。
もう2年近く経つ。
パソコンを開いてもそのページにいかなければ目にすることはない。
ネットなんてそんなものだよと、話してくれたのもその人だった。
夏の暑い日に店の前に車を停めてテラスにいた僕に向かって「よぉっ!」って
手を挙げたときのあの笑った顔が忘れられない。
毎日届いていたはずの朝の日記を読むことはもうできない。
いつかはと思っていたことが叶わずに終わる。
僕は友人なんかじゃない。でも僕にとって本当に大きな大きな存在でした。
その人が書いた文章がいつでも僕を明るく前に進めてくれた。
大切なのは透明で健全なまなざしを持ち続けることだよって。
休日
りっちゃんちへ。いつ行っても変わらない不思議な空間。
たくさんの緑と犬と猫に囲まれてすごく穏やかな気持ちになれる場所。
細い橋を渡り、古い家が並ぶせまい路地をゆっくり、そうっと通ってたどりつく。
いつもは吠えまくる犬たちが、すっと車の中まで入ってきて優しく寄り添うように迎えてくれた。
解ってるんだなぁ全部。
半年ぶりくらいだろうか、その間にいろんなことが起きた。
個人的なことも、もっと大きな、いま日本に起きているたいへんな事態もそう。
神戸の震災を経験してる二人はその時の記憶がよみがえり、涙が止まらなくなると言った。
僕らが想像する以上に現実はもっともっと大変なのだろうと思う。
それは経験した人じゃないと解らない。いまこうして生きていること自体が奇跡で、
共に時間を過ごせることは本当にすごいことなんだ、と思う。
久しぶりに本当に楽しい時間を過ごす。美味しくいただいて美味しく飲んだ。
知り合って何年も経つのに、二人の出会いの話は初めて聞かせてもらった。
本当にかわいらしく、それが今目の前で笑っている二人につながっている。
やっぱり過去も現在も未来も楽しいことも辛いことも人生の時間はぜーんぶまるごといとおしい。
おひさまのあたるところ
夜中にたくさん泣いて朝起きたら久々に外が明るかった。
太陽が部屋中を明るくして窓の外の景色も青空と白い雲の平和な風景。
ふと思いついて東側の窓の下に寝転んでみる。
真正面に太陽がいて緑の隙間からきらきらとまぶしく光る。
目を閉じてもその明るい光は消えることなく瞼の裏を赤く染めて体中に広がった。
すごくあたたかくて気持ちよくて固くなった悲しい気持ちも少しずつほどけていく気がした。
なぜオンがいつもここにいたのかがよくわかった。
麒麟
いつもの日記を書きます。
朝、店を開けたら犬を連れたあけちゃんが歩いてきた。
住所がわからなくてと、宛名だけ書いた御礼状を持ってきてくれたのだ。
奄美パークであった絵画展のお礼。こちらこそありがとうございましたとお礼をいいたくなるくらい
タイミングよく素晴らしい絵に出会えて嬉しかったのに。
隣のガソリンスタンドに車を預けて今も立神まで行ってきたと言い、僕もあの絵についていろいろ聞いてみたかったし、またまたグッドタイミング。
絵のこと、麒麟のこと、無意識の線のことについて、短い間だったけれどすごく面白いお話だった。びっくりしたのは栗ノ介があけちゃんに抱っこされても全く泣かなかったこと。どころかニコニコ上機嫌。
最近はうちの母親でも、夢元さんや紅さんでも泣いてしまうのに、不思議。
ツイッターで知った最近のたけちゃん(あけちゃんの息子さん)の様子などを報告する。
島に暮らすほとんどの人が今回の被災地のどこかに大切な家族や友人を持っている。
いくら心配しても足りないくらいだが、本当に祈るしかない。
お客さまが来られるまでは電気を消して静かに営業しています。
って、これいつものことだ。
今週末の営業について
出張の予定が変更となりましたので今週の土日は通常通り営業いたします。
是非、気持ちのいい春の景色を味わいながら遊びにいらしてください。
お待ちしています。
3月の定休日のお知らせ
3月も5の倍数がお休みです。
5(土)、10(木)、15(火)、20(日)、25(金)、30(水)となります。
宜しくお願いします。