友達

幼稚園の頃からの友達がいる。
家が近いから何をするのも一緒だった。
映画『ボーイズボーイズ』を観てスケボーをやったのも、夏休み早起きしてクワガタ探しにいったのも、部活のバスケ入ってすぐ辞めたのも、ジャンルは違ったがギター始めたのも一緒だった。
でも高校を卒業し、島をでるときに東京と大阪に分れてしまい、以来ずっと交流がないままだった。
二十代の頃、一度彼が東京に遊びに来た時に会い、それからまた10年以上時が経ち僕が島に戻ってから一度店に訪ねて来てくれたのが今から三年前だった。そのときは二人で焼肉食べながら酒を飲んだ。
そして今回も彼は突然現れた。休みの日に雨が強くなったので店のシャッターを下ろしに行くと後ろから懐かしい声がした。びっくりして振り返ると自転車に乗った彼がロードレーサーの格好で笑っていた。大阪からそのまま飛行機で来たそうだ。目の前にいるのが本当に不思議な感じがした。
お互いに年をとって多少外見は変わっても中身は同じでいつでも昔に戻れる気がする。
もっとゆっくり話すことができたらよかったが、今日から一週間いるからまた来るよって彼は自転車にまたがり、風みたいにいなくなってしまった。
そして今日また同じ格好で店に来てくれた。
本当にすぐ近所から普通に買い物に来たみたいにTシャツを買い、また自転車ですーっといなくなってしまった。
遠いところから訪ねてきてくれた友達。
帰った途端、さびしくなってしまった。
僕は、今まで自分勝手に生きてきて、振り返ると友達との付き合いかたもずいぶんあっさりとほったらかしのままだったんだと気が付く。
訪ねて来てくれて本当にありがとう。
昔も今もずっと変わらず君は僕の大切な友達です。
そういえば、自転車乗れるようになったのも同じ頃だったよね。

『東京タワー』

毎週楽しみに見ている。原作のリリーさんが同い年(多分)ということもあり、まだ読んでないが本もずっと気になっていた。僕も思い出をたくさん抱えて生きているからきっと重なる部分は多い。
上京した頃の東京の印象は意外に空気は澄んでいて空も青く緑も濃く夢に溢れすべてがきらきらと輝いて見えた。本当にまぶしくやさしい春の景色だった。誰かが言っていたが目に見える情景はすべて自分の心で捉えたものだからそれは心の状態がそのまま春のように明るかったのだと思う。どこに行くのも楽しくホームシックなども全然なかったし一人暮らしの自由を満喫していた。お金は無くてもバイトもできたし、不安を感じる事など一切なかった。ただ学校に関しては不満だったが・・・。
ドラマを観ていて思い出したのは、小学二年の頃、宿題で絵を描くことになり、港まで母親と一緒に大きな船を書きに行ったことだ。冬のどんよりと曇った日、ゆらゆら揺れる大きな鉄の塊でできた貨物船の前に二人で座っていると自分たちがすごく小さくかよわい存在に思えてちょっとさびしい気持ちになった。母はとなりでずっと僕の書く絵を見てくれていた。暗くなるまでかかって書き上げた絵は学校内の小さなコンクールで入選となり、教室に飾られただけだったがすごく喜んでくれたのを覚えている。
もうひとつドラマでちょっと悔しいのは自分と重なって見えるのが実は速水もこみちではなく、おとんの泉谷しげるのほうだということ。

いつの間にか

出張から帰って来た日はあんなに寒かったのに今日は春を通り越して夏のような気配。半袖TシャツでOKだし、風がなんとも気持ちいい。まだ一週間も経ってないからなんだか寒い日本をぬけだしてHAWAII辺りに旅行に来たような気分になる。今日奄美に観光で来られた方はそんな風に感じるかも。奄美でも二月は寒暖の差が激しいから、休みの日にこんな天気だとちょっと得した感じ。店も新しい商品が入ってきて春の色が目立ってきた。そういえばいつの間にか風邪も治ってる。
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雹!

無事に出張から戻ってきました。
昨日もおとといも天気が良く日中はあったかかったが昨日の夜からぐっと寒くなった。奄美に戻ってきても寒く、空港の滑走路が濡れてたので雨も降ったようだが、家に着き、店を開けてついさっきまでは晴れていたのに今いきなり雹(ひょう)がバラバラと横殴りに落ちてきてびっくりした。なんだか不安定な天気だ。
東京を歩いていてもまだまだ真冬の空気で、ショップもセール中心だったりと全然期待したイメージとは違っていた。無理をせずゆっくり春を待つのが正解みたいだ。初日から歩きすぎて足の付け根が痛くなった。普段全く歩いてない証拠だ。走るのは無理でも歩きならどこまでだって行けると思っていたのに。けさは5時半にケータイの目覚ましをセットしたが3時半から4時くらいに目が覚めた。不思議な夢を見ていて起きてすぐは自分がどこで寝てるのかわからなかった。しばらく真っ暗な部屋のなかで目を閉じたまま夢の続きを空想で埋めていった。なかなか面白い話だったので小説風にまとめてみようと思ったが自分のパソコンがないと書けない。旅の途中だから浮かんだことだと思うのでその場で書けなかったのはちょっと残念。さっき書いてみたがやっぱり今読むと全然面白くなく興奮が冷めてしまった。
それで相変わらず風邪を引いていて、鼻をかみすぎてちょっと痛い。

出張

今日の夜の飛行機で出張に行ってきますので、
お店は明日、明後日はお休みです。
本日は6時まで2/2は午後1時からの営業となります。
相方は毎回、何を着ていくか大騒ぎしながら準備していますが、
僕はいつもと同じ普段着ででかけます。
なるべく身軽にするために荷物はシンプルに肩掛けバッグひとつ分。
ただいつもと違うのは何を着てても普段よりちょっとだけ
おしゃれしましたって気分にさせてくれるこの靴。
履きこむほど味が出るnakamuraさんの靴。
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風邪

昨日の夜から少し喉が痛かったのだが、どうやら風邪を引いたみたいだ。
熱を出して寝込むほどではないが、少し寒気がするし、目の辺りがぼーっとする。いつもは朝シャワーを浴びるのだが、最近は夜にお湯をためてゆっくり入るようにしている。慣れないからそのあと湯冷めしてしまったのかもしれない。出張前なのに困った。今日は薬を飲んで早めに寝てしまおう。

春を待つ気持ち

次第に日が伸びてきた。夕方6時でもまだ明るい。
もうすぐ二月、昔から一番先に春が来るのはショップだった。
実際まだまだ寒いのだが、お店に春物が並ぶと新しい服を着なくては浮いてしまう。店で着替えるなんて面倒なことは誰もしない。たとえ外は雪でも家を出るときから薄い生地のスーツやジャケットの上に春色のコートだ。駅や街中でもピカピカに浮いてるのがデパートのマヌカン(もう古くて使わない言葉だなぁ)達だった。秋の立ち上がりも同じでまだまだクソ暑い八月に秋物を着る。みんなが競って自社の新商品を身にまとい、お客様にアピールする。変な格好で出勤するとたちまち店長に怒鳴られる。服が大好きだったから全然苦じゃなかったし、それどころかすごく楽しかった。今はどうなんだろう?流れは大きく変わってはいないだろうが、僕らの場合は新商品が入ってきてもお店がガラリと変わることはないから、未だに冬服のままだ。(と、言っても一年中あまり変わらない格好だが・・)お店も僕らもゆっくり少しずつ春に変わっていく。来月の出張は春を通り越して夏服の展示会。またショップをまわって都会の春を感じるのも楽しみ。

チビクロ

グレコにハナグロにシマ吉、そしてチビクロ。
僕が勝手に付けた近所のノラ猫の名前だ。
(もしかしたらどっかで飼われていてちゃんと名前があるのかもしれないが)
今まで、犬は子供の頃に飼っていたことがあるけれど、猫は飼ったことがない。
先日、逗子にある根本きこさんのお店COYAで大勢の人がいてにぎやかな場所でも堂々と寝ていて起きて目が合っても全く動じず、ふてぶてしささえ感じる貫禄のある猫を見てから、猫のいる暮らしに憧れている。
動物を飼うのは出張で家を空けることもあるのでなかなかむずかしいみたいだけど、いつか犬でも猫でもいいから一緒に暮らすことができたらいいなと思う。それまでは近所の野良と仲良くしていたいのだが、こちらの猫はかなり警戒心が強く店や家のまわりをうろついてはいるけれど近づくとすぐに逃げていってしまう。それでも最近はテラスに残り物の魚などを置いておくと恐る恐る食べにくる。来るのはいつもグレコかハナグロ、シマ吉で、子猫のチビクロは今年になってからまだ一度も見かけない。いつもグレコと一緒だったから親子だと思うのだけど、どっかで元気にやっているのだろうかとちょっと心配。

お騒がせしました

以前、ここに書いた靴泥棒の話、意外な結末で解決しました。
「あの靴ね、出てきたよぉ!心配かけてごめんねぇ」と母からの電話。
「はぁ?どこにあったの?」
「今日ね、もう靴盗まれるの心配だから靴箱ごと全部家の中にしまおうとおもって中を掃除してたら出てきたのよ、奥のほうから。誰かがそっと返したみたい」
って・・・いい加減にしなさいってツッコミを入れたくなったが、本人は靴が戻ってきてもうそれだけで嬉しそうだったので
「そっか、かしこい靴だから自分で元の持ち主のところに帰ってきたんだよ。きっと」と返事した。
とにかく大事な靴が見つかってよかったけれど、もしかしたらもうボケてきたのかとそっちのほうが心配になった。
お騒がせしてスミマセン。

島の声

おとといと昨日はずっと天気がよくほんと暑いくらいで
お客さんも半袖Tシャツにビーサンだったりした。
今日はせっかくのお休みなのに雨。
いつものようにまだ暗いうち(それでも6時50分頃)に目が覚めたので、
先日録画した元ちとせのLIVEを観た。
僕が初めて彼女を知ったのは茅ヶ崎で一人暮らしをしていたとき。
J-WAVEから聴こえてきた唄はまさに島の声だった。
島を離れて20年が過ぎ、いつの間にか都会の暮らしのほうが長くなっていた。
そのときはまだはっきりと島に帰ることを決めていなかったし、
また、帰りたくてもそれが叶うかどうかもわからない状態だったから、
その唄を聴いたときに懐かしく暖かい島の空気を思い出し泣きそうになった。
2002年、代々木公園での無料のLIVEや同じ年の夏に瀬戸内町での凱旋LIVEも観に行った。彼女の活躍は、僕が島に帰るためにクリアしなければならない諸々の問題を乗り越えるための力を夢や希望と一緒に送ってくれているような気がした。
あれから5年。ブラウン管のなかの彼女は結婚、出産を経験してたくましさを
増し、僕よりずっと年下なのにもうとっくに僕を追い越してずっと昔から奄美に住み、島の良さをたくさん知っている母のようなあたたかさを感じさせた。