朝7時に散歩。県道沿いを歩いて海へ行く。いつもなら海に着いてからするのに道の途中でクンクン臭いを嗅ぎはじめ、くるっとお尻を回してウンチのスタイルになった。すかさず持っていた園芸用のスコップをおしりの下に差しだす。うまく乗っかった。コンビニのソフトクリームみたいだ。海につくと東の空には薄い雲がかかっていて太陽は見えない。おかげでひんやりとした空気がそのまま残っている。西の空にはまだ月が浮かんでいて、薄く透明な空ににょきっと白く飛び出した突起物のようで、押したりさすったりしたら何か大変なことになるスイッチみたいにも見える。ものすごく感度のいいロボットのオッパイとか、ちょっとエロチックだ。相当冷たいんだろうなとか妄想しながらずっとその青と白の世界を眺めていてふと地上に目線を落とすとやたら砂が黄色く見えた。以前、植木屋のバイトをしていた時、草刈り機で芝を刈っていて緑だけをずっと見つめていると緑が緑色でなく茶色(黄色だったかな?)にしか見えなくなるのを思い出した。僕らがいつも見ている景色にある色は大体いつも決まっていて、たまには違う色の世界に行ってみたいと思う。簡単なのは大きなスクリーンで映画を観ることなんだけど、今日はレンタルして26インチのTVの世界で我慢。
夕焼けのつまみはビールじゃなくて
そっか。毎日同じ時間に日記を書けば習慣になるのだ。日が沈んで幕を外し、窓を開けたらパソコンのスイッチを入れる。メールやインターネットを開かず、ワードに直行だ。これで三日坊主はクリアした(えっへん)でも今日は間違えて幕を2回外した。雲に隠れたからいいかと思ったらすぐに西日が射してきた。あわてて戻す。その時、ふわっといい香りがした。炭火焼コーヒーみたいな美味しそうな匂いだった。きっと布が陽にあたためられてそんな香りがしたんだ。布はちょうど茶色ベースに葉っぱの柄でなんとなく目にもそれっぽい。コーヒーじゃなくチョコの甘い匂いだったような気もしてきた。あー誰かミスタードーナッツでも持ってきてくれないかなぁ!・・・・・すいません、調子に乗りました。
夕方から秋
今の時期は太陽が南に傾くので、朝から窓や入口のガラス張りのドアから日差しが入る。直接じゃなくても本当に空気がきれいだから曇りでもピカッとホワイトバランスが高く、眩しくて目が疲れるくらいだ。商品もあまり明るいところには置いておけないので仕方なく幕を張る。なので外から中が全然見えないのだ。初めて入るのは勇気いるだろうなと思う。常連さんも「やってますか?」と恐る恐る入ってくる。夕方5時過ぎくらいにようやく太陽が山の後ろに隠れるので幕を外し、窓を全開にする。なんだかここから仕事が始まる感じだ。今日も昼間は風はさわやかだったが日差しは強く店の中は照明を落としていても暑かった。この季節の楽しみは空が次第に青から紫、そしてピンクに染まっていく夕焼けの時間だ。やがてどんどん暗くなり、黄色くて大きな月が浮かぶ。昨日もまだまあるい月で低いところに浮かんだ雲を明るく照らしていて幻想的だった。アラビアンナイトや星の王子さまの世界だといつも思う。ということで夕方~夜のAIRYに是非!
店
どんなお店が好きなんだろう。まず外から見たときに中に入ってみたくなる。入ったら気持ちのいい音楽が流れていて、いい匂いがする。そして目に飛び込むモノに次々に魅かれる。店の中から見る外の景色もいい。そして何よりも緊張せずにリラックスできる。買物はしなくても行くだけで幸せな気分になれる。僕はそんな店がいい。きっとそれは売れる店の条件とは少し違うと思うが。果たして今の自分の店はそれを満たしているだろうか。はじめに店をやろうとしたときに僕らは空気のように透明な存在でいたいと思った。人が主張してはいけない。店そのものがちゃんと生きている。主人がここは自分の店だと偉そうにしてはいけないのだ。今の僕はどうだろう?いつの間にか気難しいオーラを出していないだろうか。バイトのおじさんに間違えられるくらいがちょうどいいのだけど。
国内の出張でも。
たった三日間の出張だったけれど、すごく長い間、島を(店を)離れていた気分。スタートから躓いた。日曜の夜の東京への直行便が機械のトラブルで欠航し、翌日の鹿児島経由に変更になった。おかげで祖母に会う約束がかなわず、そのあと計画していた下町巡りも気が抜けてしまい取り止めた。仕事は火曜は自由が丘、水曜は葉山とたった2件の取引先を訪ねるだけのゆるい日程なのに、どっと疲れた。展示会に行くのは本当に楽しみで、出張そのものも僕にとっては島で放電しっぱなしのエネルギーを都会で取り戻すという都会で暮らす人とは全く逆の行為なのだけれど、あまり上手に時間を使えなかったのと、目的を果たせないまま帰ってきたのですこし消化不良というかもったいない気持ちが残った。奄美に帰ってきてまず予想以上に暑いのにびっくり。またTシャツと短パン、ビーサンに逆戻りで本当にここは日本じゃないみたいだ。天気のせいもあるだろうが、都会はずっとどんよりした冬の重たい空気に包まれていて、街を歩いていても人がただただたくさんいるだけで、活気やにぎわいみたいなものは感じなかった。毎回のことだが、半年前にはあったはずの店がまた全く違うお店に変わっていたりで、殺伐とした都会の時間の流れは、僕らの普段の生活とは全く違う速度なのだと感じた。それならば、たとえカメのようなスピードでもずっと自分たちのやりたいことを大切に追いかけ、続けていくことでいつか僕らはちゃんと胸を張れると思った。
Saigenji!
歌声や演奏をCDで聴いたり、TVなどで見ることはあっても生で素のアーティストに触れることはなかなか難しい。LIVEやコンサートなどに出かけても遠くに小さく見えるだけで、音も大きく迫力はあるがその姿はやはり遠い存在のままだ。ぶらっとやってきたその人がどんな顔で歌うのか、どんなふうにギターを弾くのか見たくて会場に行った。小さなカフェには顔見知りがたくさんいて、本当にホームパーティーのようにくつろいだ空気の中で始まった。店でお会いしたときの空気のまま、気取らず自然体で親しみやすい笑顔で挨拶をして歌い始めた。パーカッション(ただの椅子かと思った!)の福和さんと並んで演奏する姿がとにかく可愛く、僕はなんでみんなあんな熱心に追っかけるのだろうと思っていたが、やっぱり島の人間に好かれるタイプの人だった。もちろん島の人以外にも人気があると思うが、特に島の人には情熱とあたたかさみたいなものがすごく伝わりやすいのだと思う。子供が産まれたら是非島で暮らしてください。自分の大好きなアーティストを呼んでみんなにその情熱やハッピーな気持ちを伝えようとする僕らの大事な友人も本当に幸せだなぁと思いながら、あいさつに行くと「どうですか!熱い気持ちがわかってもらえましたか!」と満面の笑みが返ってきた。いいよねぇ!
大事に着る
パソコンが新しくなり、日記を書くよりもパソコンに慣れることのほうに忙しく、あれやこれやできることに感動しつつもそれをうまく使いこなせない自分に腹が立つ。島全体は全く波のない凪のような状態でいて、これがいつものことだが、あまりに仕事をしていない(なっていない)状況に胸の中だけはゆらゆらと不安の波がたっている。それでもシンパーイないさ~♪と大西ライオンのように歌ってみたり、なるようになるさと開き直る。やっと気温は秋らしくなってきた。朝の散歩も半そでTシャツ一枚だと少し肌寒いかんじだ。一応僕らも洋服屋だから巷のファッションにも興味がある。しかし都会のように街を闊歩する人たちのフアッションを楽しんだり、ウィンドウを眺めることは難しい。だから雑誌やTVなどでなんとなくの流行りを感じるくらいだ。もうすでにちょっと古い話題かもしれないが銀座にH&MがOPENしたときに行列ができ、大きな袋を抱えた人が3万円でこんなに買えましたと嬉しそうにインタビューに答えているのを見て、3万も使うならもっといいのが買えるだろ!と突っ込みたくなった。都会で暮らす人々には毎日とっかえひっかえ新しいものを着れることのほうが重要なのかもしれないが。種類が多くて安くてたくさん買えるのが今の時代のニーズだとしたらうちは真逆だ。でも僕らは本当に気に入ったものだけ、値段は高くても安くても関係なく、自分が手に入れたいものだけを買いたいし、売りたいと思う。先日、奄美空港まで取引先のTさんを迎えにいったとき、パンツの尻あてがほつれ、ポケットの縫い目も少し擦り切れているのを見て、ちょっと嬉しかったのは、「いつまでそんな穴のあいたTシャツ着てるの!みっともない」と普段、相棒に怒られてる自分を弁護してくれてるような気がしたからだ。なーんて言うと両方から「一緒にするな!」と怒られそうだけど。
大切に買う
ずっと日記をさぼっていたのはやっぱりなんとなく不安定な落ち着かない日々が続いているせいだ。と、まず言い訳をしておいて、世の中の動向は極端に大きなところと小さなところでわかりやすく現れると思う。
ここにいて実感できることは大都市にいて実感することとはちょっと違う。「日本で今、不景気、不景気と騒いでいるが、ハワイのほうがもっと深刻なんだよ」とさっきTVで小錦が言っていたのは納得できる。島の生活はとてもシンプルだがら自分たちのペースでのんびり生活することもできるが、それだけいろんなことがストレートに影響をもたらす。そこは敏感なのだ。これだけ平和なのはありがたいことだけど、楽園であるはずのハワイや奄美が生活するのに困難な場所であっては困る。無駄をなくすのも自給自足もいいけれど、安心して外でご飯を食べ、買い物をすることで世の中は活発になる。で、8年使ったパソコンがついに壊れたので新しく買い替えたvaioのきれいな画面にうっとりしながら「これは贅沢じゃない!仕事で使う必需品だからね。よしよし」と自分に言い聞かせる。
MONEY!
平均株価が1万円を割ったとTVでテロップが流れた。臨時ニュース扱いだ。
お金の価値はいったい何処にあるのか。僕の財布には今1円も入っていない。いや、今だけでなく、もうこの6,7年の間ずっとそうなのだ。ネットのお買い物アンケートでも一日にどこでいくら使ったか、該当するのは「何も購入しなかった」でそれは一週間でも一ヶ月でも同じことだ。うちの相棒に「だんなさんが財布からお金出すのっていいよね。お財布にお金入れておく?」と言われた。でもそれは自由に使えるお金ではなく、そこから牛乳やらお米やら生活必需品を買わなくてはいけないのだ。僕は丁重にお断りした。世の中の主婦の人たちのやりくり上手には頭が下がる。僕が食費のお財布を預かったら計画性がないので、絶対に足りなくなってしまうはずだ。その昔、僕にとってお金の単位といえばレコード(CDでなく)だった。2500円が1レコードで、お年玉などで一万円貰ったりすると、これで4枚レコードが買えるとすぐに計算した。そして高校の頃にアルバイトで稼いだ5万円はレコード20枚分ではなく、ギター1本に替わった。やがて音楽だけでなく、靴や服といったファッションにも使われるようになったが、それは親に食べさせてもらっていた高校生までの間だけでなく、都会で一人暮らしをするようになってからもずっとそうだった。それでもちゃんとご飯も食べていたし、充分足りていたのだ。今のほうが稼げていないということではなく、そういったお金の使い方をしなくなってしまっている。CDは買わなくてもレンタルできるし、ダウンロードもできる。本だって図書館で借りまくっているが、これらは僕が高校生の頃も変わらずにあったはずだ。それでも手元に置きたいレコードや本があったからちゃんと買っていたのだ。今の僕はそういったものになかなか出会えなくなってしまっているのかもしれないが、心のどこかで無駄遣いだと思っているふしもある。また、ネットで買うのは味気なさ過ぎる。ちゃんと店に買いに行きたい。子供の頃、たまに学校の帰りや、父親と一緒に出かけたときには必ず本屋さんにより、漫画や学習雑誌を買っていた。それが最高のお土産だったのだ。取り戻さなくてはいけないのは、買ったレコードや本、服を自転車のかごに入れてワクワクしながら家路につくあの気持ちと、それを満たしてくれるお店だ!というわけで、別にお金持ちじゃなくても、そのぐらい気軽に使えるように世の中に(街に)お金を流通させなきゃいけないんだぞ!と言いたい。
ハナレグミLIVE
いつか、奄美で見れる日が来るかもしれないとずっと思っていた。
それだけ、島にぴったりの人で、絶対に来てくれるだろうと。それでもこんなに早く実現されるとは思っていなかったし、昨日も直前まで本当にあそこにいけば、あの歌声を生で聴くことができるのだろうかと実感がわかず、いつもと同じ峠を登って下る間もずっと不思議な気分だった。駐車場にはたくさんの車が停まっていて、やっぱり間違いないんだと思ったが、それでもまだそこは静かで、山の上に登り、受付で予約の名前をつげ、チケットを買い、古い民家の前にステージが用意されていてそこから音楽が流れ、これから凄いことが始まる空気を感じ、そこで初めて夢じゃないと実感できた。何処にも告知されているのを見なかったし、僕はお客様からメールで教えてもらった。知らなければそのままそこに参加することもなく過ぎ去ってしまう一日だったはずで、貴重なLIVEを生で観る事ができたことに本当に感謝します。企画してくれた方、それを教えてくれたIさん、ありがとうございました。遠くに聞こえる波の音とすぐ近くの虫の声、闇に色濃く映える山の緑を背にして、星空に突き抜けるように響かせたギターの音と歌声。ホント最高の夜でした。
