日記を書くのに一番困るのは実はタイトル

こないだ休んだばかりなのに、また休みだ。休み過ぎ?それでもなんだかんだとやることは多く、休みの一日はあっという間に過ぎていく。
昨日の夜は8時半くらいに一度寝て夜中の一時前にサッカーを観るために起きた。ドーハの悲劇、あれから15年経ったのかと、そしてそれは僕の人生の三分の一の年月なんだなぁと感慨にふける。試合はちゃんと起きて生で観て良かったなと思える内容だった。休みの前の晩の過ごし方としては申し分ない。ただ、さすがに夜中は冷えてきて、これでコタツとホットカーペットと座椅子があればもっといい。それで朝はオンが気を利かして寝かしてくれるはずもなく、いつものように海に散歩に行くが、途中から冷たい雨に降られ、寝ぼけた頭で散歩に出たことを後悔する。午前中はいつも銀行や郵便局、図書館、食料品の買い出しで終わる。また油断してビーサンででたらスーパーで足が冷えて寒くてしかたなかった。午後はパソコンで作ったCDにタイトルをプリントして遊ぶ。買ってから一度も使ったことがなかった機能で、古いプリンタがVISTAで使えるかどうか心配だったが、ちゃんとUSBをつなぐだけで対応できるのに感心。CDに直接プリントできるのが面白くてどんどん作る。年賀状作るよりよっぽど楽しい。夕方からはこないだの休みにツタヤで借りてきたDVDを観る。新作が450円で旧作が150円なので旧作のなかから選んで2本借りた。一本は一度劇場で観たことのある「マルコビッチの穴」でもう一度人形劇のシーンを観たかっただけだが、映画館で観たときほど面白さは感じなかった。もうひとつはビョークの「ダンサーインザダーク」でこれはずっと気になっていたのを、ようやく観れた。ストーリーは聞いて知っていたので覚悟はしていたがやはりラストは衝撃を受けた。最初、なんでこんなに画面が揺れるのだろうと思って観ていたら、ミュージカルのシーンではしっかりと構図ができていたので意識して違いを表現しているのだと思った。妄想する世界は夢や希望にあふれ、現実はあまりにも悲しく不安定だ。「ライフイズビューティフル」を思い出した。最後まで子供に夢を見せ続けた父親はとても強く、反対に男よりもずっと強いと思っていた女性(母親)が本当はこんなにも弱かったんだと今まで僕が思ってきたことをひっくり返す世界を見せつけられた気分。
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いきなり冬

すっごく寒い。暑くて日本じゃないみたいだと書いたのがちょうど一週間前なのに今日はマフラーを巻きたくなるぐらい寒い。なんだか急に年末が近づいたような気分だが、その前に誕生日もあり、え、するともう45!と自分で驚く。自分の意識よりも時間のほうがどんどん加速しているようでちょっと困る。

教会

曇っていて、雨がぱらついている。そして島に冬が来たなと感じるのはこの風だ。朝の散歩でまずそれを感じた。日中も温度が上がらず、電線がびゅんびゅんとうなっている。PCを買い替えたら、実家のTVが壊れたのでついでにTVも買い、家電関係で予定外の出費がかさむなぁと思っていたら、洗濯機も壊れた。メーカーに修理の見積もりを出してもらい、新しいのを買うか直してもらうか決めることにした。で、また電気屋さんに行く。修理費にあと1万円位足せば、安いやつなら買えるのだが、どうせ買うならドラム式だよねぇなどと相棒が言いだしたので、今回は修理してもらってまた何年かしたら買おうということにした。直しに来てくれたおじさんは以前も一度来てくれた人で、僕はその修理の間中、洗濯機のことをいろいろと質問した。本当に今流行りの家電オタクと変わらない。おじさんはいろいろと親切に教えてくれた。僕の店にパソコンが置いてあるのをみて「私もHPを開設してるんですよ」と教えてくれ、覗いてみると意外な視点に驚く。おじさん自身もなぜそこなのかわからないと言っていた。島の外から来た人の目線に共通する何かがそこにあるような気がするのだけど。

今日はお店はお休みなので

朝7時に散歩。県道沿いを歩いて海へ行く。いつもなら海に着いてからするのに道の途中でクンクン臭いを嗅ぎはじめ、くるっとお尻を回してウンチのスタイルになった。すかさず持っていた園芸用のスコップをおしりの下に差しだす。うまく乗っかった。コンビニのソフトクリームみたいだ。海につくと東の空には薄い雲がかかっていて太陽は見えない。おかげでひんやりとした空気がそのまま残っている。西の空にはまだ月が浮かんでいて、薄く透明な空ににょきっと白く飛び出した突起物のようで、押したりさすったりしたら何か大変なことになるスイッチみたいにも見える。ものすごく感度のいいロボットのオッパイとか、ちょっとエロチックだ。相当冷たいんだろうなとか妄想しながらずっとその青と白の世界を眺めていてふと地上に目線を落とすとやたら砂が黄色く見えた。以前、植木屋のバイトをしていた時、草刈り機で芝を刈っていて緑だけをずっと見つめていると緑が緑色でなく茶色(黄色だったかな?)にしか見えなくなるのを思い出した。僕らがいつも見ている景色にある色は大体いつも決まっていて、たまには違う色の世界に行ってみたいと思う。簡単なのは大きなスクリーンで映画を観ることなんだけど、今日はレンタルして26インチのTVの世界で我慢。

夕焼けのつまみはビールじゃなくて

そっか。毎日同じ時間に日記を書けば習慣になるのだ。日が沈んで幕を外し、窓を開けたらパソコンのスイッチを入れる。メールやインターネットを開かず、ワードに直行だ。これで三日坊主はクリアした(えっへん)でも今日は間違えて幕を2回外した。雲に隠れたからいいかと思ったらすぐに西日が射してきた。あわてて戻す。その時、ふわっといい香りがした。炭火焼コーヒーみたいな美味しそうな匂いだった。きっと布が陽にあたためられてそんな香りがしたんだ。布はちょうど茶色ベースに葉っぱの柄でなんとなく目にもそれっぽい。コーヒーじゃなくチョコの甘い匂いだったような気もしてきた。あー誰かミスタードーナッツでも持ってきてくれないかなぁ!・・・・・すいません、調子に乗りました。

夕方から秋

今の時期は太陽が南に傾くので、朝から窓や入口のガラス張りのドアから日差しが入る。直接じゃなくても本当に空気がきれいだから曇りでもピカッとホワイトバランスが高く、眩しくて目が疲れるくらいだ。商品もあまり明るいところには置いておけないので仕方なく幕を張る。なので外から中が全然見えないのだ。初めて入るのは勇気いるだろうなと思う。常連さんも「やってますか?」と恐る恐る入ってくる。夕方5時過ぎくらいにようやく太陽が山の後ろに隠れるので幕を外し、窓を全開にする。なんだかここから仕事が始まる感じだ。今日も昼間は風はさわやかだったが日差しは強く店の中は照明を落としていても暑かった。この季節の楽しみは空が次第に青から紫、そしてピンクに染まっていく夕焼けの時間だ。やがてどんどん暗くなり、黄色くて大きな月が浮かぶ。昨日もまだまあるい月で低いところに浮かんだ雲を明るく照らしていて幻想的だった。アラビアンナイトや星の王子さまの世界だといつも思う。ということで夕方~夜のAIRYに是非!

どんなお店が好きなんだろう。まず外から見たときに中に入ってみたくなる。入ったら気持ちのいい音楽が流れていて、いい匂いがする。そして目に飛び込むモノに次々に魅かれる。店の中から見る外の景色もいい。そして何よりも緊張せずにリラックスできる。買物はしなくても行くだけで幸せな気分になれる。僕はそんな店がいい。きっとそれは売れる店の条件とは少し違うと思うが。果たして今の自分の店はそれを満たしているだろうか。はじめに店をやろうとしたときに僕らは空気のように透明な存在でいたいと思った。人が主張してはいけない。店そのものがちゃんと生きている。主人がここは自分の店だと偉そうにしてはいけないのだ。今の僕はどうだろう?いつの間にか気難しいオーラを出していないだろうか。バイトのおじさんに間違えられるくらいがちょうどいいのだけど。

国内の出張でも。

たった三日間の出張だったけれど、すごく長い間、島を(店を)離れていた気分。スタートから躓いた。日曜の夜の東京への直行便が機械のトラブルで欠航し、翌日の鹿児島経由に変更になった。おかげで祖母に会う約束がかなわず、そのあと計画していた下町巡りも気が抜けてしまい取り止めた。仕事は火曜は自由が丘、水曜は葉山とたった2件の取引先を訪ねるだけのゆるい日程なのに、どっと疲れた。展示会に行くのは本当に楽しみで、出張そのものも僕にとっては島で放電しっぱなしのエネルギーを都会で取り戻すという都会で暮らす人とは全く逆の行為なのだけれど、あまり上手に時間を使えなかったのと、目的を果たせないまま帰ってきたのですこし消化不良というかもったいない気持ちが残った。奄美に帰ってきてまず予想以上に暑いのにびっくり。またTシャツと短パン、ビーサンに逆戻りで本当にここは日本じゃないみたいだ。天気のせいもあるだろうが、都会はずっとどんよりした冬の重たい空気に包まれていて、街を歩いていても人がただただたくさんいるだけで、活気やにぎわいみたいなものは感じなかった。毎回のことだが、半年前にはあったはずの店がまた全く違うお店に変わっていたりで、殺伐とした都会の時間の流れは、僕らの普段の生活とは全く違う速度なのだと感じた。それならば、たとえカメのようなスピードでもずっと自分たちのやりたいことを大切に追いかけ、続けていくことでいつか僕らはちゃんと胸を張れると思った。

Saigenji!

歌声や演奏をCDで聴いたり、TVなどで見ることはあっても生で素のアーティストに触れることはなかなか難しい。LIVEやコンサートなどに出かけても遠くに小さく見えるだけで、音も大きく迫力はあるがその姿はやはり遠い存在のままだ。ぶらっとやってきたその人がどんな顔で歌うのか、どんなふうにギターを弾くのか見たくて会場に行った。小さなカフェには顔見知りがたくさんいて、本当にホームパーティーのようにくつろいだ空気の中で始まった。店でお会いしたときの空気のまま、気取らず自然体で親しみやすい笑顔で挨拶をして歌い始めた。パーカッション(ただの椅子かと思った!)の福和さんと並んで演奏する姿がとにかく可愛く、僕はなんでみんなあんな熱心に追っかけるのだろうと思っていたが、やっぱり島の人間に好かれるタイプの人だった。もちろん島の人以外にも人気があると思うが、特に島の人には情熱とあたたかさみたいなものがすごく伝わりやすいのだと思う。子供が産まれたら是非島で暮らしてください。自分の大好きなアーティストを呼んでみんなにその情熱やハッピーな気持ちを伝えようとする僕らの大事な友人も本当に幸せだなぁと思いながら、あいさつに行くと「どうですか!熱い気持ちがわかってもらえましたか!」と満面の笑みが返ってきた。いいよねぇ!

大事に着る

パソコンが新しくなり、日記を書くよりもパソコンに慣れることのほうに忙しく、あれやこれやできることに感動しつつもそれをうまく使いこなせない自分に腹が立つ。島全体は全く波のない凪のような状態でいて、これがいつものことだが、あまりに仕事をしていない(なっていない)状況に胸の中だけはゆらゆらと不安の波がたっている。それでもシンパーイないさ~♪と大西ライオンのように歌ってみたり、なるようになるさと開き直る。やっと気温は秋らしくなってきた。朝の散歩も半そでTシャツ一枚だと少し肌寒いかんじだ。一応僕らも洋服屋だから巷のファッションにも興味がある。しかし都会のように街を闊歩する人たちのフアッションを楽しんだり、ウィンドウを眺めることは難しい。だから雑誌やTVなどでなんとなくの流行りを感じるくらいだ。もうすでにちょっと古い話題かもしれないが銀座にH&MがOPENしたときに行列ができ、大きな袋を抱えた人が3万円でこんなに買えましたと嬉しそうにインタビューに答えているのを見て、3万も使うならもっといいのが買えるだろ!と突っ込みたくなった。都会で暮らす人々には毎日とっかえひっかえ新しいものを着れることのほうが重要なのかもしれないが。種類が多くて安くてたくさん買えるのが今の時代のニーズだとしたらうちは真逆だ。でも僕らは本当に気に入ったものだけ、値段は高くても安くても関係なく、自分が手に入れたいものだけを買いたいし、売りたいと思う。先日、奄美空港まで取引先のTさんを迎えにいったとき、パンツの尻あてがほつれ、ポケットの縫い目も少し擦り切れているのを見て、ちょっと嬉しかったのは、「いつまでそんな穴のあいたTシャツ着てるの!みっともない」と普段、相棒に怒られてる自分を弁護してくれてるような気がしたからだ。なーんて言うと両方から「一緒にするな!」と怒られそうだけど。