雲ひとつない完璧な青空。
とにかく静かで、建物の輪郭がくっきりと見える。
冬といえばどんよりと曇った景色しか思い浮かばなかったけれど、たまに奄美でもこんな綺麗な空気の一日がある。夏なら珍しくはないが、ネルシャツを着て、日差しがあったかくて気持ちいいなと思えるのはとても新鮮。
夜空に浮かんだスマイルマーク
昨日見つけた瞬間にそれはもう嬉しくて、誰かに伝えたくて、どこかに電話をしようかと思ったぐらいだったけれど、こんなにきれいに月や星が見れる場所はそんなにないだろうと、とりあえず写真に収めた。で、今日の日記にと思っていたら、ほぼ日の糸井重里さんが書いていたので、あー毎日リアルタイムで日記を書いて公開するのってこういうことだな(知らないところで知らない人が同じように感動していることに気づく)ってまたひとつ勉強しました。今日も来てくれてありがとうございますってとても大切。書かないけれど僕もいつもそう思っています。本当にありがとうございます!
真っ暗のなかに目と口、僕はやっぱり飼い犬のオンに見えます。
振り返って東の空にも無数の星が光ってました。冬の夜空もいいです。
雲の上のケンムン
つるつるの幹を滑るように降りてきた子供はさらさらの砂の上に初めて足を着いたときに思わずひゃぁと声をあげました。
いつも空の上からみていた青い海と緑の山が今はすぐ目の前にあります。見上げると、さっきまで自分のいた雲は木の先っぽから離れて、代わりに眩しいおひさまが顔を出していました。子供は砂の上を跳ねるように走りながら青い海に向かって思いっきり飛び込みました。すーっと解けるように水の中に沈んでしまった子供は、さっきよりも、もっとびっくりして飛び跳ねました。お尻には魚が食いついています。あわてて木の下に戻り、体はびしょびしょに濡れて気持ちが悪かったけれど、ちょっとだけ雲の上に似ている気がしてなんだか面白いと思いました。
反対側の緑の山にも近づいてみました。今度は用心しながら、そうっと手を伸ばしてみます。海とは全然違って何も起こらなかったけれど、手の先がちょっとチクっとしました。あまり楽しくはなさそうです。
木の下に戻った子供はじっと耳を澄ましました。海から聞こえてくる音と山から聞こえてくる音は違うのです。
ざざー、ざざざーん。 みーんみんみんみーん。
そしてどこかもっと遠くのほうから、風に乗ってふんわりとやわらかい音が聞こえてきました。もっと近くで聞いてみたいと思った子供は、緑と青の間に続く白い砂の道を歩いていきました。そこには人間の暮らす村がありました。年寄りも若者も子供もみんな一緒に輪になって踊っています。子供はおーいと大きな声をあげましたが誰も気づいてくれません。近づいて背中を叩いたり、前に回って顔を近づけてみたのですが誰も気づいてくれません。子供はその時初めて、人間には自分の姿が見えないことがわかりました。仲間には入れないのです。せっかく雲の上から降りてきても遊んでくれる友達はいません。
子供は木の下に戻り、膝を抱えて座りこんでしまいました。何日も動かずにそこにいましたが、気づいてくれる人はやっぱり誰もいません。そしてその木の周りにはどういうわけか誰も近づいてこないのです。どうして誰も来ないのだろう、子供はもういちど人間のいる村に行ってみました。そこは緑と緑の間、山の谷間にあって近くには川が流れています。自分のいる高い木のそばよりもちょっと空気がひんやりとしていました。そして頭の上には緑のあのチクチクした葉っぱが眩しいおひさまの日差しを隠していました。子供はまた木の下に戻ると、今度はその高い高い木に向かってお願いをしました。
「ねえねえ、その高い頭を少し下げてくれないかい?ついでに横に大きく手を伸ばして欲しいんだ」
大きく雲の上まで頭を出していた木は低く響く声で言いました。
「頭を低くするのも手を大きく広げるのも簡単だけど、そうしたら君はどうやって雲の上に戻るんだい?」
子供はちょっと考えてから答えました。
「雲の上よりもここは素敵なところだよ。風の匂いもあのやわらかな音もすごく気に入ったんだ。だから僕はずっとここにいるよ」
大きな木は笑って言いました。
「本当に後悔しないかね?」
子供が元気にうん!と答えると同時に大きな木は、そらっ!とたちまち横に大きく膨らんで太い幹になり、ぐーーんと背を低くしました。
それから次々に枝を伸ばしました。右に左にどんどん伸ばします。それから緑の葉っぱをポンポンと生やしていきます。あっという間にあたりに大きな木陰ができました。木の下にはやさしい風が吹き、鳥や虫たちがたくさん集まってきます。しばらくすると、村の人たちもみんなぞろぞろとやってきました。それぞれに音の鳴る道具を抱え、楽しく歌ったり踊ったりしています。 子供はやっぱり誰にも見つけてはもらえませんが、それでも大きな枝の上にちょこんと座り、にこにこと村の人たちを眺めています。 何年も何十年も何百年もそうやってただただ眺めています。 その間、村の人たちは赤ちゃんからお爺ちゃんやお婆ちゃんになるのを何度も繰り返し、たまにどこか遠くに行ってしまっても、また必ずその場所にちゃんと戻ってくるのでした。 そのたびに木の上の永遠に年をとらない子供はにっこりと笑いかけるのです。
「おかえり!そしてようこそ!また一緒に楽しく歌って踊ろうよ!」
ひたすら文章を書いてみます
えのちちって何?にお答えします。
正解は江の島の中心で父を叫ぶ!です。
父親を知らない猫が、人間のオスを少しだけうらやましいと思うけれど・・・太陽や星や月がきらめく空の下で自由に生きられる猫の話。
日記を毎日書くということと並行して短編や長編でお話を作っていきます。また、ここに載せることもありますので気が向いたら読んでみてください。感想なども是非!
毎日続けることって
今日の朝日は本当に綺麗でちょうど喜界島の上のほうから真っ赤な太陽が顔を出した。一日中、晴れていてこれから始まる夕焼けもきっと綺麗だ。そろそろ3匹の猫たちも夕飯をねだりに帰ってくる。毎朝の散歩がたまに億劫になるときがある。それはいつもいつも同じことの繰り返しだからうんざりするのだろうか。日記も気まぐれで書いているときは全然気にならなかったがこうして毎日書くとなると同じように感じてしまう。それがはっきりと内容にも表れていて、自分で読んでいてもちょっと腹がたつくらいいい加減だ。昨日、犬がうちに来てちょうど一年が過ぎた。毎朝、散歩に連れて行くのが面倒くさいなんて言ったらきっと傷つくだろうな。
接客業
お客様にこれは似合いそうだなと思うと僕は俄然やる気がでる。そういうときは透明人間ではいられない。もちろん無理やり買ってもらおうなんて思ってなく、一緒に「いいよねー!これ!」と言いたいだけだ。
「いいもの見つけた!」とお客様の顔が満足して輝くときが洋服屋にとって一番嬉しい瞬間なんです。(なんだかギラギラの佐々木蔵之介がいいそうなセリフ)でも、その気持ちは23年前初めて派遣でデパートの売場に立ったときからずっと変わらない。忘れてはいけない基本だ。一度この伝説のホスト、いや販売員に接客されてみます??
お誕生日おめでとうございます!は会員登録の自動メールか
朝のシャワーから出たら、携帯に着信表示があり息子からだった。メールを送っても返事がないことのほうが多く、朝から電話をかけてくるなんてと、急な胸騒ぎを覚え、腰にタオルを巻いただけの格好ですぐにコールバックした。何度呼び出しても電話にでない。かける前に、もうある程度の覚悟をしていて、頭の中を最悪の妄想が駆け巡る。2回かけなおして15回くらい呼び出し音を聞いたころにやっと出た。「誕生日おめでとう!」力が抜けた。
もしや免許を取りたてで事故ってしまい、救急車を待っている間に意識が朦朧として、最後に父親に別れのあいさつの電話をしたのにオレがでなかったからそのまま逝ってしまったのかと思った僕は「バカヤロー!びっくりさせるな!」と怒鳴ってしまう。すぐに笑ったが離れてくらす親の気持ちなんてみんなそんなものなんだ。毎日元気にバイトを頑張っていることを聞いて安心する。携帯の電話代を気にしながら早口で今読んでいる本を薦めて、最後に頑張れよと言って電話を切る。あーびっくりした。縁起でもないことを想像し日記にまで書いてしまうバチあたりな親父を許せ。でも本当に何かあったら必ずすっ飛んで行くからな。早くても今日の夜中になってしまうが。
てげてげ(いい加減)
黙って受け流すようにしたら何でもないことを、少し考えて「ちょっと待った!」をやると相当エネルギーを使い疲れる。かといって、だからもういいやなんていうのは絶対無理。突き詰めて考え、やっぱり違うと思ったらとことん闘い、間違いを正さなければ気がすまない性格。行き過ぎると気難し屋のうるさいだけの嫌われ者になってしまうかもしれないが、それも仕方ないと久しぶりに朝から静かに怒っていたら、そういうのとは全く無縁の友達が犬を連れて遊びに来てくれたので、1時間ほど店を閉め、みんなで海へ行く。すっかり穏やかな気持ちを取り戻す。単純だ。怒っていてもいつも冷静に問題を解決できる立派な大人になりたいものだが、その、たびたび襲ってくる怒りの対象は少なからず僕の中にも宿る島の人間の気質や悪しき習慣だったりするのでちょっと厄介。
サンとゴの倍数
真っ暗なうちに起きてしまい、明るくなるまでオンのしつこい散歩いこいこ攻撃と戦う。今日やらなくてはいけないことをちゃっちゃと片付けるために朝から動いたのに気がついたらもうこんな時間で、あわてて日記を書く。ここのは日付を操作できないので毎日書くと決めた以上、締切は夜中の12時なのだ。名瀬まで行って帰ってくるだけで半日はつぶれる。行きと帰りに夢紅を覗いたが誰も居なくてシェルだけが元気に尻尾を振って迎えてくれた。建物がきれいに取り壊されていても、そこに新たに出来る建物を想像するほうが楽しいのでちっとも寂しくない。お客様には「あの建物がすごく好きだったのに残念」とよく言われるが、大丈夫、きっともっと素敵な建物ができますよと答える。電気屋さんに行って古いパソコンのデータを移動するためのフラッシュメモリーを選んだり、TVのアンテナの分波器を買うだけなのにすごく時間がかかった。電化製品はアクセサリーだってやっぱり楽しいのだ。で、家に戻って、せっせとパソコンのデータを整理していたら、夢元さんと紅さんがテラスにひょっこり顔をだした。玄関のほうから聞こえる水道工事のおじさんのパイプを削る音に負けないような元気な声で、おしゃべりをする。全員が半袖Tシャツだった。なんでもない今日の出来事、明日のこと、そして来年のことをただおしゃべりしているだけなのに、僕らのまわりの空気がキラキラと輝く。一緒に夢を見れる人たちがすぐそばにいて、またすごく遠くの知らない場所にもいる。すごいすごい!と子供みたいにわくわくするけれど、僕は明日、ついにヨーンジュゴ!になる。
お金を使っても満足できるのは?
三連休の最後の日。一日雨で外は早い時間から暗くなった。
明日は僕らの休みで何をするかはこれから考える。いつもは「明日の休みどうする?どこに行く?」などと聞かれるのはすごく苦手で何も決めずにただのんびりしようよとだけ答えていた。休みの日にあれやこれやと予定を決めて動くのが面倒だったりするのだけれど、ここのところ、一日があっという間に過ぎたり、こうして毎日日記を書いていると改めて変化のない日々を過ごしているんだということにも気がつく。ちょっともったいない気もするのだ。本当は美味しいものを食べに出かけたり、服を買ったり、映画を観たりと、そんな一日がいいと思うのだけれど、じゃどこに行く?となると正直困る。犬がいて自由が利かないのもあるが、やはり魅力的なスポットが少ない。僕らの店もきっと同じなんだと反省も込めるが、そういう店や街づくりがどこでも本当は必要で、たとえ給付金などをもらっても使う気になれないのでは?と思う。