一日に2回も日記を書くなんて・・・しかもまたTVネタ!と怒られそうだが、下のは一応告知なので。昼間、宮崎あおいが篤姫を振り返る内容の番組をご飯を食べながら見た。僕が見たのは10分くらいだったけれど、約400日の間、篤姫を生きた(演じたでなく生きたと言っていた)ことで本当に気持ちがそこに乗り移ったように悲しみや愛情を持てたといい、視聴者からの手紙やVTRを見ながらすぐに涙ぐむ姿がとてもいいなぁと思った。「篤姫」ずっと母親に勧められてたが全然見てなかった。ざんねーん。
ほーらしゃ券
プレミアム商品券はほこらしゃ券ではなくてほーらしゃ券でした。
名瀬だけでなく島の広い範囲(業種も多い)で利用できるところがいいなと思う。スーパーなどでも使えるので、食料品など普段のお買いものにもいい。5千円使って500円のおまけなら嬉しい。浮いた分でプリンとアイスとチョコと・・なんて小学生の遠足みたいだ。早速買いに行こう。あ、うちでも使えます。是非ご利用を!
髪型
あったかい一日。気がついたらビーサンで一日過ごしていた。髪の毛が伸びてきて、もみあげがくりんと跳ねていたので自分で切ったらバランスが悪くなりキノコみたいな頭になってしまった。ボリュームがでるのだ。今まで何度も髪を伸ばそうと挑戦するが耳にかかってくるところで我慢できなくなってしまう。名瀬に住んでいた頃ならすぐにおじさんの所(高千穂理容室)で坊主にしてもらっているとこだ。髪の毛はくせ毛で量が多く固く重いのでちゃんとカットしないとモサッとしてしまう。鏡をみながら髪型を気にするのも気持が悪いのでとっとと切ってしまいたいが、休みまではあと4日もあり、なるべく気にしないようにキャップでもかぶっていよう。
商いは一番最後に回ってくるところだ
うーん この状態で日記を書くのはかなり危険だ。休みの日にビール一本(正確には発泡酒)で酔っぱらっている。相棒に毎日続けた日記もついに途切れるかもと言ったら、その方がらしいよと言われてしまった。予定を立てずにのんびり過ごすはずの休みだったが、図書館に本を返さなければいけなかったのを思い出して出かける。役場の前を通ったので、ついでにほこらしゃ商品券の取扱店の届をもらってくる。非正規雇用の人たちがどんどん職を失っていくのをニュースで見ながら国の対策を考えるが、どんどん国が雇ったらいいんじゃんと思う。たくさん雇って給料、ボーナスをみんなで分ける。民間の企業だって、利益が減ったときはその分賃金を減らして、みんなで我慢するしかない。人員削減は最悪の手段だ。心臓から送られた血液が体の隅々まで行き届いてまた戻るようにお金もちゃんと循環できないものだろうか。なーんてボーナスをもらうこともあげることもできないくせに!と自分にツッコむ。
看板
個人で経営していた隣のガソリンスタンドも、元売りの石油会社が直接やるようになってから、やたらと看板が増えた。従業員も増えて、道路を挟んだ駐車場にも車の出入りが多くなったのでうちの看板をそこに出すのを遠慮した。あまり、影響はないだろうと思っているが、たまにお客様に看板が出てなかったので・・と心配をしていただく。いつも看板を置いていた場所には代わりにクリーニングののぼり(スタンドで受けている)が置いてあり、今日、うちの前を通ったおじさんに「ここはクリーニング屋さんですか?」と尋ねられてしまった。通りに面すること、目立つことってそんなに大事?
道路沿いに並んだ政治家や政党の看板をみるたびに島の風景をぶち壊しているのに腹が立つ。車から見える景色だって大切なんだぞ。
日々
今日できなくても明日が、今週だめでも来週が、今月無理でも来月が・・・で、もうすぐ一年が終わろうとしている。どこかでちゃんとクリアしておかないとまた来年もそんな調子で過ぎてしまう。毎日こつこつやらなくてはいけないものと、たとえすぐには叶わなくても、あきらめずに追いかけなければいけないものがある。年末でも変わらずにここは静かだけどなんだかじりじりと燃えているのは確かなのだ。
オンの気持ちではなく僕の気持ちです。
カフェ
日光が当たるとぽかぽか暖かいが、窓を開けると風は冷たい。ガラスのテーブルの上にパソコンを置いてキーを叩いていると手がどんどん冷たくなってくる。日が暮れると後ろのコンクリートの壁も冷たくなってきて背中から風邪をひきそうになるので、店の真ん中の大きなテーブルの上にパソコンを置き日記を書いている。JALの季刊誌Agoraを見ていてパリのカフェっていいなぁと思う。やっぱりテラスだよなぁ。店先の道路を使うのが公認されてるのがいい。太陽の光を浴びながらコーヒーや朝からビールを飲んで過ごす。それは家でもできるのだけど、人が集まる場所で、個人個人が自由に思い思いの時間を過ごすのがいいのだ。
「朝の光の中で、カフェのテラスは街角の舞台に、客は役者となる」(Agoraより)
さりげなくおしゃれしたくなる。やっぱり人に見られるのも必要なんだ。
自宅から自転車で行けるところに、図書館、CDショップ、本屋、カフェ、レストラン、映画館があって海があれば文句ない。・・って茅ヶ崎がそうだったなぁと懐かしく思う。うちの店にも時間差でいろいろなお客様がいらっしゃるが、仮にみんなが同じ時間に集まったとしてもそんなテラスがあれば、いつでも自由に本を読んだり、音楽を聴いたりして時間を過ごせ、またそこに集まる人の空気や刺激を楽しめるのにと思う。
イメージ沸くなぁ!作るぞ!(みんなでね)
虹の橋
運よく朝の散歩を一日さぼれたので、今日は元気に海に向かう。晴れているのに雨が降ってきて朝日の反対側に大きな大きな虹がかかっていた。こういう日に限ってカメラを持ってきてない。驚いたのは虹は見事に全体像を現していてしっかり足元まで見えていた。山の向こう側ではなく手前にかかっているのだ。もしかしたら、虹に触ることができるかもしれないとゆっくり大きなその橋のたもとに近づく。近づくたびに薄くなっていき、目的の場所に着いた時には完全に消えていた。近くに行くと見えなくなるのかもと元いた場所に全力で走って戻ってみたがもう跡形もなく消えていた。もしも虹に触れることができたとしてもきっと何もつかめないだろう。万が一、カッチンカッチンだったとしてもその上に登ることは僕にはできない。真下からその綺麗な色を眺めながらくぐることができたら大満足だ。
迫る年末
全然むずかしくないことを夢の中であれこれ悩む。で、目が覚めたら頭痛がひどくて、それは夢のせいではなくて、頭が痛いからそんな夢を見たのだと気づく。本当に痛くて起きれないくらいだったので、念願の散歩さぼりを決行。相棒に頭痛薬と水をねだり、蒲団の上でうずくまる。目を閉じてじっとしていたら、代わりにオンを外に出しておしっこ、ウンチをさせ、ごはんをあげてくれている気配。雨、風が強くどっちにしろ散歩は無理だったらしくほっとする。ずっと天気がよくて気持のいい日が続いていたのに、今日はガラッと変わって悪天候になった。
薬も効いてぼーっとしていて、体と精神を休めるにはこういう一日もたまにはいいなと思っていたら、「12月ももう5日過ぎちゃったね!」の一言でかなーり憂鬱なプレッシャーを感じる。結局夕方、みんなで海まで散歩に行き、平和な時間を過ごしたあと、これずっと見てる暇な人っているのかなぁと思いながら国会中継を最後まで見る。
島の神様
子供の頃は、どうしてそんなことがわかるのだろう?と不思議には思っていても、事実そこに存在するのだから信じるしかなかった。大人になった僕は、少しひねくれてしまい半信半疑になっていて、もしも思っていることと違うことを言われたり、信じたくないことであれば、ほらやっぱり僕には関係ないと決めてしまえばいいのだけれど、実際そうじゃなかった。きちんと僕の心の中までわかってらしたし、いろんなことがあぁやっぱりそうなんだ、うんうんとうなずくことばかりで不覚にも涙がでてしまった。ユタ神様は以前お会いしたことはもう覚えてらっしゃらなかったが、ちゃんと前回聞けなかったこともお話していただいてよかった。島の奥深い神秘的なものにさらっと触れさせてもらい(バチあたりのように)まだ少しぼうっと頭が熱っぽい。