昨日の夜から風がものすごく強い。玄関を開けたら裏に干してあったパリパリに乾いた雑巾が風に飛ばされて転がっていた。天気は良いので寒くはないが外にいると髪は思いっきりブローされてボンバーヘッドになる。風の中で女みたいにシャンプーの匂いがした。海も荒れていて絵の具のターコイズブルーみたいな海面の上を白い飛沫がいつもの倍の速さで流れていく。意味もなく甲高い声で叫びたくなる。
小春日和
一年中こんな気候だったらいいのに。あったかくて外に干した布団の上に寝転がったら布団ごと太陽に消毒してもらってるみたいだった。お隣の店にはランチのお客様が続々とやってきて祭日のにぎわいを見せていた。観光客のレンタカーも目立つ。窓を開け放して少し店の模様替えをした。新緑と鳥のさえずりとやわらかい風が春のなかにいる気分。夏の眩しすぎてめまいがするような風景よりもこっちの方が好きだ。
ね、ね、散歩行かないの??
特別なことなど
お休みの日、ちょっとわがままに過ごす。
と言ってもあまり楽しい訳ではなく、結局はただ用事をこなしただけ。
風邪をひいて熱がでてダウンしたとかじゃないのに少しの頭痛や寒気などで気分が落ち込む。夜中に目覚めて今日は休みだからとそのまま起きてみたり、外が明るくなってからまた寝直したりしたのも、普段と違うことをすることでストレス解消のつもりだったが逆効果だった。
そうやって無理に変化をつけることよりも、休みの日でも手を抜かずきちんと三度の食事を用意してくれる相棒に頭がさがる。美味しくご飯をいただけることは本当に幸せなことだ。
ゴミが出る仕組み
朝の散歩で試しにあったかいコーヒーを海で飲んだらうまいだろうなと、途中の自動販売機で一本買ってみた。デニムのポケットに突っ込んで暖かさをモモのあたりに感じながら歩く。砂浜の真中でプシュっとプルトップを開けて飲んだら、あっという間に甘ったるい液体は体の中に消えた。残ったのは口の中のべとべと感と掌の無用な空き缶で、もうポケットに戻す気にはならずじゃまだと感じる。自販機の横のごみ箱まで持って帰り、カランと放ったときにお金を捨てたような気分とゴミを出現させてしまったことにストレスを感じた。もしもビーチの真ん中にぽつんと販売機とゴミ箱がセットで置いてあったりしたらオアシスだと勘違いして小銭を出して買ってしまうのだろうか。
高いところからすみませーん
天気がよくてあったかい日は大体ここにいまーす。
おーい!ここだよ~~
夏の前に春のTシャツ
靴下脱いで、シャツを脱いで半袖Tシャツ一枚になり、これでジーンズも脱いで短パンに着替えたら真夏と同じになるなぁと、そのぐらい今日は暑い。実際、日の当たるテラスにいたら顔はぽっぽとのぼせ、ジーンズはあっちっちになった。もう少しして太陽が傾くとまた寒くなるのだろうが、こんな日は短パンにロンteeぐらいがちょうどいいかも。
憂鬱の種
2月はぴったり4週間しかなく、一週目ももう週末。短い月だけど片づけなければいけない用事が多く休みもあっという間に終わる。確定申告も今月のうちに今年こそはe-taxでと思っているがまだ送られてきた申告書も封を切らずそのまま机の上に置いてある。毎度毎度のことだが、やはりうっとおしい。申告の方法がどんなに新しくなっても根本的に徴税のシステム自体はずっと変わらず原始的でおかしなことばかり。
カップの焼きそばは食べちゃったけど
相棒がいない間、ほとんどお金を使わずに一週間を過ごした。そうだ散歩のときに自販機で何か買って海で飲んでみようかと思ったがいざとなると別に欲しくない。家に帰って美味しいコーヒーを飲んだほうがマシだと思った。車に乗って買い出しに行かなければお金を使うことはない。甘いものが欲しくなったら自分で作る。これが自然にできてしまうのが田舎のいいところだ。都会なら、すぐ近くにコンビニがあったりして用もないのに入り何か買う。きっと本当は必要のないものばかりだ。戸棚にあるポテトチップスも一袋を一人で食べるのがやっぱりよくないとそのままとってある。
一人一台ケータイを持っていても無駄だなぁといつも思っていたが、今日は活躍した。相棒は展示会の行きと帰り、僕の下着の買い物、それからランドマークで永井さんにお会いしたあとにも歩きながら電話をくれた。本当に普段使わないから余計わかる、これは昔夢みた魔法みたいな道具だ。あ、パソコンだってそうか。
太陽の光と音楽に包まれて
晴れて暖かかったのでずっと店の横で犬と一緒に過ごした。お茶を飲みながらゆっくり時間をかけて短編小説を一冊読む。誰もいない店の中からは専属のDJが「どうだい?あんたの好きな曲ってこれだろ?」と次々に気持のいい音楽をかけてくれていて、一度途切れたから戻ってみたら、(ちゃんと聴いてる?誰もいない部屋ならもう仕事しないよ!)のメッセージが出ていた。(いえいえ、ちゃんと聴いてますって!)とクリックする。
例の幻のラジオだ。 朝、間違えて開いたのだけど、またローディングしはじめてちゃんと聴けた。不思議だ。たぶん明日は聴けないと思う。
天国の扉
朝日は新しい一日の始まりを告げ、夕日は一日の終わりを告げる。そして僕たちは死んだように寝てまた新しい一日を迎える。今日、朝の散歩で岩の上におじさんが一人で座ってじっと朝日を眺めているのを見た。手を合わせ何か真剣に祈りをささげているように見えたのだが、岩から降りてきたおじさんは写真を撮りにきたんだと言った。夜、BSフジで映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(2月7日(土) 14:00~15:55再放送します!) を観た。「天国では海の話がもっぱら共通の話題で、真っ赤に燃えていた太陽がやがて海に静かに溶け入る瞬間の美しさを語り合う・・」というようなセリフがあって、そうだ、それなら複雑な思い出なんかいらない。人間も犬も猫もみんな同じ景色を眺めて生きた証だからと納得した。