一枚の写真

僕には叔母がたくさんいる。
そのほとんどが母方の親戚でみんな奄美で暮らしているが、一人だけ島にいない父方の親戚がいる。父の妹だ。
初めて会ったのは、僕が小学校の3年生くらいの時。
叔母さんは鹿児島市内に住んでいたので、もしかしたら、もっと小さな頃に会っていたのかもしれないが、僕が覚えているのは奄美にだんなさんであるおじさんと二人で遊びに来た時のことだ。
記憶の中のおばさんは少し父に似ている。
だから、ごつくてあまり女らしくない顔のはずなのに、
僕はそのおばさんの顔が大好きだった。
おばさんは鹿児島弁でしゃべるから雰囲気がやわらかく、一緒にいるとなんだかほわんとした気持ちになった。
奄美に遊びに来た時、家のそばを流れる川の上流にある滝壺へと案内したことがある。そこでおばさんの水着姿を目の前にしていっちょ前にどきどきした。(おばさんというとイメージ良くないが20代のぴちぴちの女性ですから)
僕が少し成長して高校生になった頃、父の暮らす金沢まで一人旅をした。
帰りに寄った鹿児島ではおばさんが車で迎えに来てくれた。カーラジオはあの荒木大輔が活躍する夏の甲子園。ぎらぎらした熱い太陽の一日。
「ちょっとデートしようか」って叔母さんは近くの公園の駐車場に車を停めた。
まだ1歳くらいのいとこが一緒でまっ白い歯がうらやましかったのを覚えている。
そのいとこと一緒にミニSLに乗った。頭の上くらいの高さをモノレールみたいに走っていて、叔母さんはそれを下から見上げてにこにこ笑っていた。
そして次に連れて行かれたのが、公園の敷地内にあったおしゃれなカフェで、おばさんの友達が5、6人、先にテラス席に座ってお茶を飲んでいた。
そのうちの一人が「あら、まぁ若いツバメが一緒でいいわね」といい、
叔母さんは「でしょ~」って笑って答えていた。
まだ髭も生えてないつるんとした顔を僕は赤くした。
叔母さんは、おじさんと二人の子供、それから自分の母親、つまり僕のばーちゃんと谷山で暮らしていた。
「久しぶりにおばちゃんと一緒に寝ようか?」とからかわれたが
照れ笑いを返しただけで、ばーちゃんの部屋で布団を並べて寝た。
次の日はレコードを買いに街まで車で送ってもらった。
昨日と打って変って大雨が降っていた。
アーケードの中にあったその店で、おばさんは僕が選んだレコードをさっと奪うと「記念におばちゃん買ってあげる」とレジに持って行った。
発売されたばかりのQUEENのアルバムで思いもかけず大切なお土産になった。
島に帰って一週間くらいして叔母さんは用事があって一人で島にやってきた。まだ夏休みは続いていて、旅から戻ってからもまだその余韻が抜けずにいた僕は、またおばさんに会えて嬉しかった。
おばさんが家にいたのはほんの一時間くらいだっただろうか。
母と一通り世間話をしたあと、とんとんと階段を上がってきて、僕と友達の間に割り込み、
「おばちゃん、これ得意なんだよー」って一回だけトランプをした。
何のゲームだったかはもう思い出せない。
「邪魔したねー」っておばちゃんが帰って行って僕はしばらく頭がぼーっとなって、
それからものすごく寂しくなった。
それがおばさんの最後の記憶・・・ではなく、最後に会ったのはそれから半年後、高校を卒業して、僕が東京に行く前の夜だった。鹿児島まで船で行き、それから列車や新幹線を乗り継いで東京を目指す旅の途中の一日。
その晩、「最後だからおばちゃんと寝ようか?」とまたからかわれたが、
僕はやっぱりえへへと笑い、ばーちゃんと一緒に布団を並べて寝た。
そのかわり、おばちゃんは
「あなたは私たちの希望だからね。東京に行ってどんないい男になるか楽しみにしてる。頑張れ!」
と言ってくれた。
それがおばさんに最後に会った記憶。
あれから30年、
僕はたいした人間になっていない。
どちらかというと父親と同じような人生を送っている気がする。
でも僕はちゃんと誰かを愛することを覚えた。
すごく時間がかかったけれど。
IMG_0324.jpg
 おじさん、妹、おばさん、ばーちゃん(その陰に僕)、母ちゃん