パソコンの小さな画面で悲しい映画を観た。
何でもない普通の日々の出来事が本当に夢のようにしか思い出せなくなるときがいつかやってくる。
突然やってくる場合とだんだんと近づいてくる場合と、どっちがより悲しいだろう。
淡々とした日々の暮らしの中でふとそのことを考えてしまう瞬間がある。
それは自分と愛する人(たち)以外、誰もいない風景のなか、本当に静かで鳥の鳴き声や風が木々を揺らす音ぐらいしか聞こえず、大体が夕方で陽は斜めから射し、その大切なものたちが逆光で透けてみえたりするときだ。
もう二度と帰ってこないその瞬間がとても美しく愛しく感じるのだ。
普段、「今」という瞬間を意識することはあまりない。
いつでもたんたんと時は流れて行く。
その、時の川の流れをもがきながらも必死に生きているのは常に「今」の自分であって過去や未来の自分ではない。
それはもう各々、思い出と想像の世界にしか存在しない。
しかし、今の自分を形成しているのが過去の自分であることも確かだ。
そして未来の自分を作るのは今の自分。
はて?「今」を生きるということは未来の自分のために何かを犠牲にして努力するということだろうか?
それとも、反対に未来の事よりも「今」この瞬間を大事に生きろということだろうか?
日々、何かを目標にして生きるという事は、積み重ねのようであり、実は
その都度、完結して明日には持ち越せないことだったりするのかもしれない。
一番大事なのは、一日一日を満ち足りて暮らすことだ。
それは仕事でも、家庭でも、身近にいる人、または遠く離れた場所にいる人でも、
今この瞬間を共に生きている人々、自分ではない誰かを楽しませることだ。
で、何ができるか考える。
本当にたいしたことはできない。
それでも自分にできることを一生懸命やるしかない。
そう、自分じゃない誰かのために。