つるつるの幹を滑るように降りてきた子供はさらさらの砂の上に初めて足を着いたときに思わずひゃぁと声をあげました。
いつも空の上からみていた青い海と緑の山が今はすぐ目の前にあります。見上げると、さっきまで自分のいた雲は木の先っぽから離れて、代わりに眩しいおひさまが顔を出していました。子供は砂の上を跳ねるように走りながら青い海に向かって思いっきり飛び込みました。すーっと解けるように水の中に沈んでしまった子供は、さっきよりも、もっとびっくりして飛び跳ねました。お尻には魚が食いついています。あわてて木の下に戻り、体はびしょびしょに濡れて気持ちが悪かったけれど、ちょっとだけ雲の上に似ている気がしてなんだか面白いと思いました。
反対側の緑の山にも近づいてみました。今度は用心しながら、そうっと手を伸ばしてみます。海とは全然違って何も起こらなかったけれど、手の先がちょっとチクっとしました。あまり楽しくはなさそうです。
木の下に戻った子供はじっと耳を澄ましました。海から聞こえてくる音と山から聞こえてくる音は違うのです。
ざざー、ざざざーん。 みーんみんみんみーん。
そしてどこかもっと遠くのほうから、風に乗ってふんわりとやわらかい音が聞こえてきました。もっと近くで聞いてみたいと思った子供は、緑と青の間に続く白い砂の道を歩いていきました。そこには人間の暮らす村がありました。年寄りも若者も子供もみんな一緒に輪になって踊っています。子供はおーいと大きな声をあげましたが誰も気づいてくれません。近づいて背中を叩いたり、前に回って顔を近づけてみたのですが誰も気づいてくれません。子供はその時初めて、人間には自分の姿が見えないことがわかりました。仲間には入れないのです。せっかく雲の上から降りてきても遊んでくれる友達はいません。
子供は木の下に戻り、膝を抱えて座りこんでしまいました。何日も動かずにそこにいましたが、気づいてくれる人はやっぱり誰もいません。そしてその木の周りにはどういうわけか誰も近づいてこないのです。どうして誰も来ないのだろう、子供はもういちど人間のいる村に行ってみました。そこは緑と緑の間、山の谷間にあって近くには川が流れています。自分のいる高い木のそばよりもちょっと空気がひんやりとしていました。そして頭の上には緑のあのチクチクした葉っぱが眩しいおひさまの日差しを隠していました。子供はまた木の下に戻ると、今度はその高い高い木に向かってお願いをしました。
「ねえねえ、その高い頭を少し下げてくれないかい?ついでに横に大きく手を伸ばして欲しいんだ」
大きく雲の上まで頭を出していた木は低く響く声で言いました。
「頭を低くするのも手を大きく広げるのも簡単だけど、そうしたら君はどうやって雲の上に戻るんだい?」
子供はちょっと考えてから答えました。
「雲の上よりもここは素敵なところだよ。風の匂いもあのやわらかな音もすごく気に入ったんだ。だから僕はずっとここにいるよ」
大きな木は笑って言いました。
「本当に後悔しないかね?」
子供が元気にうん!と答えると同時に大きな木は、そらっ!とたちまち横に大きく膨らんで太い幹になり、ぐーーんと背を低くしました。
それから次々に枝を伸ばしました。右に左にどんどん伸ばします。それから緑の葉っぱをポンポンと生やしていきます。あっという間にあたりに大きな木陰ができました。木の下にはやさしい風が吹き、鳥や虫たちがたくさん集まってきます。しばらくすると、村の人たちもみんなぞろぞろとやってきました。それぞれに音の鳴る道具を抱え、楽しく歌ったり踊ったりしています。 子供はやっぱり誰にも見つけてはもらえませんが、それでも大きな枝の上にちょこんと座り、にこにこと村の人たちを眺めています。 何年も何十年も何百年もそうやってただただ眺めています。 その間、村の人たちは赤ちゃんからお爺ちゃんやお婆ちゃんになるのを何度も繰り返し、たまにどこか遠くに行ってしまっても、また必ずその場所にちゃんと戻ってくるのでした。 そのたびに木の上の永遠に年をとらない子供はにっこりと笑いかけるのです。
「おかえり!そしてようこそ!また一緒に楽しく歌って踊ろうよ!」