3月最後の日曜日。
今日の東京はやっぱり寒いのだろうか。
僕らが出張した日も冷たい雨で、傘をさし真冬のように肩をすくめて歩いた。
灰色の空とそれを映した川面のあいだに桜の花びらだけが鮮やかに浮きでて綺麗だった。
27年前に比べると目黒も高層ビルが増え、さすがに都会の街並みっぽくなっていたけれど、
僕が住んでいたマンションはそのまま残っていて、懐かしいと思いながら入口をくぐったらそのまま引きこまれるように206号室の前まで行ってしまった。
もしもチャイムを押したら22歳の僕がドアを開けてひょっこり顔を出しそうな気もしたが、実際はマンションのどこにも人がいないかのように静かだった。僕が住んでた頃も確かに昼間はそうで、忙しくてただ眠るために帰る部屋だった。
毎日、駅まで急な坂を上り、電車に乗ってもっと人のたくさん集まる街にでかけた。
高校を卒業して、制服の代わりに僕が気に入って着ていたのはサックスブルーのオックスフォードBDシャツ(GANT?だったかな)にリーバイスの502、コンバースの赤いローカット。それにマクレガーのスィングトップ。
本当はギブソンが欲しいけれど今はこれでいいやとグレコのレスポールを買ったのと同じだ。
高校生のこづかいで買える範囲で頑張って選んでいたんだと思う。
その頃は洋服屋になるなんて思いもしなかった。
その高校を卒業したての春のほうが僕は今よりもっと服が好きだったように思う。
目黒に住んでいた頃のことよりも、島を出る直前のそんな春の気持ちをいつの間にか思い出していたのは、これから出会う服や靴がまたすごく楽しみになっているからだ。
変わらないもの
出張まであと四日。相棒がそわそわと旅仕度を始める。僕はいつもぎりぎりまで何もしない。
そして着の身着のままで出掛けるのがいつものパターン。
何年か前、9月によれよれのTシャツにビーサンで飛行機に乗ってしまい、冬服の展示会場で浮きまくって恥ずかしい思いをしたことがある。「いやぁ、うち空港近いから余裕かましてぎりぎりで家出たらシャツ着るの忘れちゃって、ほんとこんな恰好ですみませーん」なんて言い訳しながら。
今回は初めましてのところもあるのでなるべくちゃんとしていかなくては。
しかし、日々の気温の差が激しすぎるので何を着て行くか、持っていくか大いに悩むところ。
洋服屋らしく爽やかな春色の服を着たいと思うのだが・・・持っていない。店には売るほどあるというのに欲しいものがないのだ。仕方ないから手持ちの服を整理しながら選ぶことにした。
クローゼットの中にはいらない服もまだたくさんあった。元々そんなに持っていないし、増やしてもいないのだが、捨てずに大事に持っているから引出しはパンパンだった。Tシャツも古くなって擦り切れたり穴が開いたり黄ばんだ物は処分することにした。しかし、ただ色褪せただけのものはまだまだ着れる。これは海の近くで太陽がんがんなら仕方ないのだ。都会ではちょっと恥ずかしいかもしれないけれど、ここでは勲章のようなもの。清潔であればいい。奥の方に隠れていたパンツを発見した。お尻のポケットがほつれてしまい、同じ形の新しいものに買い替えてからそのまま履かなくなったやつだ。実はこれ初めて葉山の某ショップで買ったもので僕はこのパンツに惚れたから、今この店をやっているのだ。ずっと忘れていた。何でもない普通の5ポケットのデザインだけれど、シルエット、素材、ポケットの位置、ボタン、股がみ、かんぬきの色、タグに付いた刺繍。全部が気に入った。その時もほぼ10年ぶりくらいに自分の身につける服について、わくわくするような気持ちになり嬉しくなった。そして誰かに奨めたくなったのだ。
店を始めた頃にたくさん仕入れたがなかなか売れなかった。その頃からもっとデザインされたパンツのほうが人気だった。それは今でも変わらない。ちゃんと流行りがあって今を感じられる服のほうが着てて楽しいはず。でも僕は今でもこのパンツが自分に一番似合ってると思う。手持ちの服を整理しながら、色々と見えてきたものがある。イメージの中で僕は欲しいものが実はたくさんある事に気づく。その中から本当に必要なものを選んで買っていきたい。そしてそれをまた誰かに奨めることができたらなお嬉しい。