25年も前の話。
僕らはみんな居場所を探していた。
大学や専門学校、予備校などを辞め中途半端な時間を生きていた若者たち。
食べるため、家賃を払うためにお金を稼がなければならない。
当時アルバイトはたくさんあった。
都会の一人暮らしでバイトをすることは生きていくため、お金を得るために必要不可欠なことであった。
が、それ以上に大切なものがそこにはあった。
毎日約束などしなくてもそこに行けば会える友達がいるということが何よりも嬉しかった。
学校を辞めて、どこにも行くところがなかったから毎日何をすればいいのかわからない。
生きていくために働かなければいけない状況は今思えばありがたかったのかもしれない。
家にこもるなんてありえなかった。
将来の事、ぼんやりとした未来への夢はたくさんあった。
しかし、どこをどう歩けばそこにたどりつくのかわからない。
決まったレールなんかはない。
普通に毎日学校に通ってちゃんと卒業したらその先の見える道はあったのだろうか。
僕が見つけたバイトは有名な珈琲チェーン店が手掛けた当時流行り始めたカフェバーだった。
オープニングスタッフ募集、 それが一番の魅力だった。
バイトとはいえ、新しく始まることに参加できるのが嬉しかった。みんな同じスタートラインに立つ。
チェーン店から配属されてきた店長はなぜか3人もいて、みんな若かった。
学生時代からバイトしていてそのまま就職した口。
バイトの僕らと4つくらいしか変わらないのに彼らはみな大人にみえた。
その中の一人は奥さんもいて、お腹には赤ん坊もいた。
お酒が好きで音楽が好きで映画が好きで、ちょっと先をいく愛すべき人生の先輩たち。
そんな若い店長たちのもとに僕らプータローが集まった。
中にはちゃんと大学に通っているものもいたが、多くは休学中や、僕のようにドロップアウトしたもの、高校を卒業したままアルバイトをしてるもの、浪人生とさまざまだった。
早番、遅番、深夜番とわかれていて全部で15人くらいだろうか。とにかくたくさんいた。
今でも全員の名前と顔を思い出せる。僕は時間が自由に使えたので早番も遅番も深夜番も全部経験した。
忙しいのは昼間のランチの時間くらいであとは大体暇だった。
特に深夜はお客さまが一人もいないなんてしょっちゅうで、みんなでぼうーっとモニターを眺めることが多くなった。
店には当時の流行りで何台もテレビのモニターがあった。
今みたいに薄型じゃないから壁やテーブルに穴を開けて綺麗に平面に見えるよう埋めてあった。
最初はモルジブなどの海を撮影した環境ビデオを流すように決められていたみたいだったが、
僕らは自分たちの好きな映画や音楽を流した。業者から貸し出されるものもあったし、テレビで録画したものもあった。
MTV全盛期でベストヒットUSAやポッパーズなど音楽番組もたくさんあった。
僕はそのためにローンを組んで、出たばかりのビデオデッキを買ったりしたんだ。
レンタルビデオも流行り始めた頃で、3人の店長の中で一番不真面目だった燃えよデブゴンのサモハンキンポウそっくりなシミテンがAVを借りてきたことがあった。
その夜は早めに看板を下げて、誰も入ってこないようにして店長二人、バイト二人の男4人でこっそり観た。
この辺は早番や遅番の連中には内緒の話。
店中が桃色の裸とあえぎ声で占拠された。昼間、近くの女子学生で埋め尽くされ、きゃっきゃと明るい声が響く健全な空間とは偉い違いだ。
ときどきネズミの走る太陽の光も届かない地下室。
眩しい早朝の光と、街ごとざわつく昼間、ちょっとやすらぐ夜、ぐっとさびしくなる深夜、その全部の記憶に、旨そうな匂い(上のシェーキーズからか)と氷のカランとなる音、それから80年代のヒット曲がくっついてくる。
狭い空間の内側からいろんなものを見て、聞いて、いろんな人と触れ合って、それから外に向かってたくさん空想した。
まだ自分がどうなるか解らない、不安で仕方ない時期だったけれど、でも本当にわくわくしてた。勘違いでもなんでも未来の夢を見るのは大事だと思う。
そういう時間を与えてくれる場所だった。
みんな元気かなぁ。また集まってみたいなADで。