昨日の朝と晩に僕は発狂したかのように大きな声で叫び、相棒を突き飛ばした。あまりにもはっきりとみえている大きな間違いに誰にも(身近なひとに)気付いてもらえず、挙句、間違ってることを指摘したほうが間違いだと諭される。子供の頃、いとこ同士でトランプをしていて、ズルをした子供に文句を言い、ケンカになった。あわてて飛んできた(僕にとってもやさしくて大好きだった)叔母さんは自分の子供を抱くようにかばいながら「うちの子はそんなことはしない、悪いのはあんたじゃが」と言い放った。ものすごく悔しく、またそれ以上に悲しかった。なぜかそんな昔のことまで思いだした。
自分のために誰かを利用する。それは小さく大きく、たくさん、世界中で日常に当たり前のように、また無意識のうちに起きていることで、それが仕事という名前に変わり、モノやサービスを産み、お金を回すようになるのだから、至極当然のようにそのこと(ビジネス)に一生懸命になっている人間は、それがどんなに悪いことか気がつかない。
僕は泣くかわりに叫んだことで、今は映画を観て泣いたあとのようなすっとした気分でもある。