日々

今日できなくても明日が、今週だめでも来週が、今月無理でも来月が・・・で、もうすぐ一年が終わろうとしている。どこかでちゃんとクリアしておかないとまた来年もそんな調子で過ぎてしまう。毎日こつこつやらなくてはいけないものと、たとえすぐには叶わなくても、あきらめずに追いかけなければいけないものがある。年末でも変わらずにここは静かだけどなんだかじりじりと燃えているのは確かなのだ。
P1010228s.jpg
オンの気持ちではなく僕の気持ちです。

カフェ

日光が当たるとぽかぽか暖かいが、窓を開けると風は冷たい。ガラスのテーブルの上にパソコンを置いてキーを叩いていると手がどんどん冷たくなってくる。日が暮れると後ろのコンクリートの壁も冷たくなってきて背中から風邪をひきそうになるので、店の真ん中の大きなテーブルの上にパソコンを置き日記を書いている。JALの季刊誌Agoraを見ていてパリのカフェっていいなぁと思う。やっぱりテラスだよなぁ。店先の道路を使うのが公認されてるのがいい。太陽の光を浴びながらコーヒーや朝からビールを飲んで過ごす。それは家でもできるのだけど、人が集まる場所で、個人個人が自由に思い思いの時間を過ごすのがいいのだ。
「朝の光の中で、カフェのテラスは街角の舞台に、客は役者となる」(Agoraより)
さりげなくおしゃれしたくなる。やっぱり人に見られるのも必要なんだ。
自宅から自転車で行けるところに、図書館、CDショップ、本屋、カフェ、レストラン、映画館があって海があれば文句ない。・・って茅ヶ崎がそうだったなぁと懐かしく思う。うちの店にも時間差でいろいろなお客様がいらっしゃるが、仮にみんなが同じ時間に集まったとしてもそんなテラスがあれば、いつでも自由に本を読んだり、音楽を聴いたりして時間を過ごせ、またそこに集まる人の空気や刺激を楽しめるのにと思う。
イメージ沸くなぁ!作るぞ!(みんなでね)

虹の橋

運よく朝の散歩を一日さぼれたので、今日は元気に海に向かう。晴れているのに雨が降ってきて朝日の反対側に大きな大きな虹がかかっていた。こういう日に限ってカメラを持ってきてない。驚いたのは虹は見事に全体像を現していてしっかり足元まで見えていた。山の向こう側ではなく手前にかかっているのだ。もしかしたら、虹に触ることができるかもしれないとゆっくり大きなその橋のたもとに近づく。近づくたびに薄くなっていき、目的の場所に着いた時には完全に消えていた。近くに行くと見えなくなるのかもと元いた場所に全力で走って戻ってみたがもう跡形もなく消えていた。もしも虹に触れることができたとしてもきっと何もつかめないだろう。万が一、カッチンカッチンだったとしてもその上に登ることは僕にはできない。真下からその綺麗な色を眺めながらくぐることができたら大満足だ。

迫る年末

全然むずかしくないことを夢の中であれこれ悩む。で、目が覚めたら頭痛がひどくて、それは夢のせいではなくて、頭が痛いからそんな夢を見たのだと気づく。本当に痛くて起きれないくらいだったので、念願の散歩さぼりを決行。相棒に頭痛薬と水をねだり、蒲団の上でうずくまる。目を閉じてじっとしていたら、代わりにオンを外に出しておしっこ、ウンチをさせ、ごはんをあげてくれている気配。雨、風が強くどっちにしろ散歩は無理だったらしくほっとする。ずっと天気がよくて気持のいい日が続いていたのに、今日はガラッと変わって悪天候になった。
薬も効いてぼーっとしていて、体と精神を休めるにはこういう一日もたまにはいいなと思っていたら、「12月ももう5日過ぎちゃったね!」の一言でかなーり憂鬱なプレッシャーを感じる。結局夕方、みんなで海まで散歩に行き、平和な時間を過ごしたあと、これずっと見てる暇な人っているのかなぁと思いながら国会中継を最後まで見る。

島の神様

子供の頃は、どうしてそんなことがわかるのだろう?と不思議には思っていても、事実そこに存在するのだから信じるしかなかった。大人になった僕は、少しひねくれてしまい半信半疑になっていて、もしも思っていることと違うことを言われたり、信じたくないことであれば、ほらやっぱり僕には関係ないと決めてしまえばいいのだけれど、実際そうじゃなかった。きちんと僕の心の中までわかってらしたし、いろんなことがあぁやっぱりそうなんだ、うんうんとうなずくことばかりで不覚にも涙がでてしまった。ユタ神様は以前お会いしたことはもう覚えてらっしゃらなかったが、ちゃんと前回聞けなかったこともお話していただいてよかった。島の奥深い神秘的なものにさらっと触れさせてもらい(バチあたりのように)まだ少しぼうっと頭が熱っぽい。
P1010175s.jpg

Beautiful Morning

雲ひとつない完璧な青空。
とにかく静かで、建物の輪郭がくっきりと見える。
冬といえばどんよりと曇った景色しか思い浮かばなかったけれど、たまに奄美でもこんな綺麗な空気の一日がある。夏なら珍しくはないが、ネルシャツを着て、日差しがあったかくて気持ちいいなと思えるのはとても新鮮。
P1010145s.jpg
P1010154.JPG

夜空に浮かんだスマイルマーク

昨日見つけた瞬間にそれはもう嬉しくて、誰かに伝えたくて、どこかに電話をしようかと思ったぐらいだったけれど、こんなにきれいに月や星が見れる場所はそんなにないだろうと、とりあえず写真に収めた。で、今日の日記にと思っていたら、ほぼ日の糸井重里さんが書いていたので、あー毎日リアルタイムで日記を書いて公開するのってこういうことだな(知らないところで知らない人が同じように感動していることに気づく)ってまたひとつ勉強しました。今日も来てくれてありがとうございますってとても大切。書かないけれど僕もいつもそう思っています。本当にありがとうございます!
smile.jpg
真っ暗のなかに目と口、僕はやっぱり飼い犬のオンに見えます。
振り返って東の空にも無数の星が光ってました。冬の夜空もいいです。

雲の上のケンムン

つるつるの幹を滑るように降りてきた子供はさらさらの砂の上に初めて足を着いたときに思わずひゃぁと声をあげました。
いつも空の上からみていた青い海と緑の山が今はすぐ目の前にあります。見上げると、さっきまで自分のいた雲は木の先っぽから離れて、代わりに眩しいおひさまが顔を出していました。子供は砂の上を跳ねるように走りながら青い海に向かって思いっきり飛び込みました。すーっと解けるように水の中に沈んでしまった子供は、さっきよりも、もっとびっくりして飛び跳ねました。お尻には魚が食いついています。あわてて木の下に戻り、体はびしょびしょに濡れて気持ちが悪かったけれど、ちょっとだけ雲の上に似ている気がしてなんだか面白いと思いました。
反対側の緑の山にも近づいてみました。今度は用心しながら、そうっと手を伸ばしてみます。海とは全然違って何も起こらなかったけれど、手の先がちょっとチクっとしました。あまり楽しくはなさそうです。
木の下に戻った子供はじっと耳を澄ましました。海から聞こえてくる音と山から聞こえてくる音は違うのです。
ざざー、ざざざーん。 みーんみんみんみーん。
そしてどこかもっと遠くのほうから、風に乗ってふんわりとやわらかい音が聞こえてきました。もっと近くで聞いてみたいと思った子供は、緑と青の間に続く白い砂の道を歩いていきました。そこには人間の暮らす村がありました。年寄りも若者も子供もみんな一緒に輪になって踊っています。子供はおーいと大きな声をあげましたが誰も気づいてくれません。近づいて背中を叩いたり、前に回って顔を近づけてみたのですが誰も気づいてくれません。子供はその時初めて、人間には自分の姿が見えないことがわかりました。仲間には入れないのです。せっかく雲の上から降りてきても遊んでくれる友達はいません。
 子供は木の下に戻り、膝を抱えて座りこんでしまいました。何日も動かずにそこにいましたが、気づいてくれる人はやっぱり誰もいません。そしてその木の周りにはどういうわけか誰も近づいてこないのです。どうして誰も来ないのだろう、子供はもういちど人間のいる村に行ってみました。そこは緑と緑の間、山の谷間にあって近くには川が流れています。自分のいる高い木のそばよりもちょっと空気がひんやりとしていました。そして頭の上には緑のあのチクチクした葉っぱが眩しいおひさまの日差しを隠していました。子供はまた木の下に戻ると、今度はその高い高い木に向かってお願いをしました。
「ねえねえ、その高い頭を少し下げてくれないかい?ついでに横に大きく手を伸ばして欲しいんだ」
大きく雲の上まで頭を出していた木は低く響く声で言いました。
 「頭を低くするのも手を大きく広げるのも簡単だけど、そうしたら君はどうやって雲の上に戻るんだい?」
子供はちょっと考えてから答えました。
 「雲の上よりもここは素敵なところだよ。風の匂いもあのやわらかな音もすごく気に入ったんだ。だから僕はずっとここにいるよ」
大きな木は笑って言いました。
「本当に後悔しないかね?」
子供が元気にうん!と答えると同時に大きな木は、そらっ!とたちまち横に大きく膨らんで太い幹になり、ぐーーんと背を低くしました。
それから次々に枝を伸ばしました。右に左にどんどん伸ばします。それから緑の葉っぱをポンポンと生やしていきます。あっという間にあたりに大きな木陰ができました。木の下にはやさしい風が吹き、鳥や虫たちがたくさん集まってきます。しばらくすると、村の人たちもみんなぞろぞろとやってきました。それぞれに音の鳴る道具を抱え、楽しく歌ったり踊ったりしています。 子供はやっぱり誰にも見つけてはもらえませんが、それでも大きな枝の上にちょこんと座り、にこにこと村の人たちを眺めています。 何年も何十年も何百年もそうやってただただ眺めています。 その間、村の人たちは赤ちゃんからお爺ちゃんやお婆ちゃんになるのを何度も繰り返し、たまにどこか遠くに行ってしまっても、また必ずその場所にちゃんと戻ってくるのでした。 そのたびに木の上の永遠に年をとらない子供はにっこりと笑いかけるのです。
「おかえり!そしてようこそ!また一緒に楽しく歌って踊ろうよ!」