ちりとてちん

うちは、BSもCSも見れないので普通に8時15分から見ているのだが、毎回8時半から始まるニュースのおじさんが、いつも今まさに僕らと一緒にドラマを見ていましたといった感じでうなずいてからしゃべりだしたりするから、「この人もみてるんだね~」と僕が言うと、「そんなわけないって。5秒前、3、2、1、ハイでしゃべるからだよ~。忙しくて見てないよ」と言われた。それでもきっと涙をこらえていたり、たまには泣きながらしゃべったら面白いなと思っていたら、いきなり「明日の最終回もお楽しみにどうぞ」と言った。やっぱ見てるじゃーん。
と、このことを書くつもりでいたら、いつも読んでいる永井さんの日記でもこのドラマの話題が出てて大笑いした。僕はこの世で一番大事な仕事がお母さんだと思っています。それは「Mrインクレディブル」のメイキングの監督の話にも出てきて、やっぱりそうだと、それから僕は絶対女の人にはかなわないなと思うのです。

月夜に潜む

玄関に通じる居間のドアがガチャガチャなる音がしたので、オンが外にトイレに行きたいのだと思い頑張って起きたら、もうすでに部屋の中のトイレシーツの上におしっこと大きなウンチをした後だった。朝ごはんを催促してくるがまだ5時過ぎだったので、「あと一時間待て」とソファに一緒に座るように合図した。あきらめきれないのかまた玄関に行くので仕方なく一緒に外に出る。店の裏の駐車場に行ったら、まだ暗かったけれど月が照明のように薄く明かりを灯していて綺麗だったので散歩をしようと海のほうではなく国道沿いに向かった。道路を渡り、緩やかな坂を下り始めたとき、いつものように後ろからついてきた子猫たちのうちの一匹がいきなり斜めに道路を横断しようとしたのが見え、同時に僕らの後ろ、空港のほうから一台の車がスピードを上げて近づいてくる音が聞こえた。ライトだけ眩しく光るが、きっと猫の姿には気づいていない。下手にブレーキを踏むほうが危険なくらいのスピードで、猫がこちらに戻ってこなければ一足早く向こうへ渡りきれるだろうと一瞬思い、そしてその通りに車が近づく前に無事向こう側の歩道へ飛び込むのを見た。しかし、安心したのはつかの間で、その後を追いかけたもう一匹の猫がちょうど、僕の目の前を車が横切る瞬間に飛び込んだ。ぶつかる音がしたのかどうかも憶えていない。でも小さな黒いかたまりがぽーんと弾き飛ばされる瞬間を見た。車の前ではなく、横に飛ばされた猫はそのままこちらに走ってきてバス停の裏の茂みに倒れこんだ。あまりの瞬時の出来事に僕は気が動転し、猫を凝視するが、それがクロッケなのかほっしゃんなのかも分からず、ただ目をしっかり開いて、こちらを見ていることが少し気持ちを落ち着かせた。暗闇で怯える猫のそばでオンは何かを口に入れボリボリと音を鳴らし、しきりに僕にからんでくる。いらついた僕は「静かにしろ!」とつい平手で頭を叩いてしまう。いったんオンを家の前につないで急いで戻る。猫はそのままそこにいて、そうっと抱き抱えて怪我の様子をみる。尻尾が長いからほっしゃんだとわかる。どこからも出血の痕はなく、つぶれているところもない。抱かれているのを嫌がり、足をじたばた動かすのでゆっくり下におろすと、後ろ足をひょこひょことびっこをひきながらまた近くの草むらの中に隠れた。歩けるのならば、しばらくそのままで大丈夫だろうといったん家に帰る。落ち着かないオンに餌をあげ、また外にでると三匹は揃って庭に戻っていた。一見いつもと変わらぬ風景だが、ほっしゃんはついさっき死にかけたのだ。もう少しでこの世から消えてしまうところで、ついこないだメス猫のクロクロが命を絶やさぬための本能をみせていたすぐそばで素知らぬ顔でほっしゃんはクロッケと同じオス同士でじゃれあっていて、僕もこの子達の母親が姿を見せなくなっても何の心配もせず、いつかこの子達だってそういう日が来るものだと本当に冷たいくらいに思っていたのに、目の前で命を失いそうになり、今またびっこをひきながら戻ってきてご飯を食べている姿を見て、突然、これが日常であり、死はいつでも僕らの生と隣り合わせで、悲しいのはそれを見ないよう、知らないように暮らしていることだとわかる。そういえばこの子たちが産まれた瞬間にも立会い、そのときも涙を流したが、そのときはやわらかく暖かな感情だったように思うが、今回は悲しみや怒り(いったい何に対してなのかわからない)や脱力感が入り混じった得体の知れない複雑な感情が湧いてきてまた気がつくとこらえきれずに泣いてしまっていた。

春のせい

春霞というのだろうか。晴れているがなんだか真っ白だ。くしゃみを連発して耳が痒く、のどもいがっらっぽいし、目のふちも痒い。花粉症復活か? お客さんに「猫も飼っているのですか?」と聞かれて「いや、この子たちはノラなんですよ」と答えているけれど、餌をあげて散歩も連れて行く(勝手についてくるのだけれど)から飼っているといったほうがいいのかもしれない。グレが産んだ四匹の子猫のうち一番器量の良かったシマシマーチはある日突然いなくなり、残された三匹(オス2、メス1)とグレはいつまで一緒にいるのかと思ってみていたらグレの発情期に見慣れないオス猫が入れかわり立ちかわり現れるようになり、さすがに昼間から縁の下で交尾していたのには困り、当たらないように近くに石を投げたらそれからグレもぱったり姿を見せなくなった。今までは時期が来ると子猫を何処かに連れて行き、自分だけ戻ってくるのがパターンだったのに、今回は子猫を残して自分が去っていってしまった。そのまだ産まれて6ヶ月の小さい子猫に、世の中にこんな恐ろしい顔の猫がいるのかと思うほどブサイクなじゃじゃ丸や茶トラやミルキーが夜這いにやってきた。避妊手術をしたり家に閉じ込めたりしていないので、いつかはと思っていたが、まだ本当に小さいし、声もか細く、いつまでも兄妹で仲良くしていてほしいと思っていたのに・・・やっぱり春はやっかいだ。木々が新芽を伸ばしたり、虫がうようよと出てくるように自然が動き出すと僕らも動物も生き物はみんなこちょこちょとどこかをくすぐられて落ち着かなくなるのかもしれない。
yorunoairy.jpg
※写真は記事とは全く関係ありません

島で映画を観る

思い出の映画館に行く。26年振りだと言いたいが、本当は6年振り。前回はスターウォーズ エピソードⅡで、公開二日目だったがそのときもガラガラでびっくりした。島の映画館がロードショーで賑わうのはやっぱり難しいのだろうか。今回はロードショーではなく島興しのために企画されたもので監督と主演女優の舞台あいさつとグッズの抽選会もあった。それももちろん魅力ではあったが車で映画を観に行くその行為自体が島では新鮮で、カーステレオのボリュームを上げ、沈む夕日のおかげで見慣れた景色もなんだかロマンチックに輝いて見える。でも待ち合わせたのは男の友達で、男二人で映画を観るのも弟と一緒に行ったそのスターウォーズ以来だ。26年振りというのは季節もちょうど今ぐらい(本当は日付もちゃんと憶えている!)で高校を卒業したばかりのそれが僕にとって生まれて初めてのデートだったからで、家で一緒にビデオを観たりすることなんて出来ない時代のやはりそれはド定番のデートコースだった。僕が島を出る直前の大切な思い出となる。ちゃんとロードショーだったし、観客も大勢いたし、何よりもあの映画館独特の匂いがあった。昼間なのに怪しい暗闇に入り、大きなスクリーンと馬鹿でかい音に吸い込まれるときの感覚と一緒についてくるあの匂いだ。昨日は特別興行だったからか会場は明るく上映のときだけ暗くなったがその館内には期待感をふくらませるような妖しい雰囲気はただよってなかった。シネコンなどはその妖しさがよりゴージャスなもの(非日常的な)に変わりロードショーを観るにはぴったりなのだが、ここはロードショーよりもきっと名画座のように古くても色あせない良い作品をかけるほうがいいのではないかと思った。単館でしかできないようなドキュメンタリー映画などもいい。音響設備を充実させてフィルムコンサートなども。吉祥寺にはバウスシアターがあり、渋谷や今はないが二子玉川にもそんな魅力的な映画館があった。映画を観に行くことがささやかだけど楽しみなイベントとして日常にあったらやはり素敵なことだと思う。

犬と猫と一直線に並んで見た朝陽

明日は休みなのでたまにはゆっくり寝てみたいと思ったけれど、どうせオンに起こされちゃうだろうなと思いながら寝たら、まだ暗いうちに目が覚めた。いきなりアイデアがどんどん浮かんできてもう行動に移したくてうずうずして、隣に寝ている相棒を起こして聞いてもらおうとしたが、案の定うるさがられた。じっと目を閉じていてもどんどん空想は進み、早くしないとまた自己完結して熱が冷めてしまいそうなので、ベッドから降りてオンにご飯をあげ、そのまま一緒に海に行った。雑誌の取材を受けたのはおとといのことで、そこから多分、ちょっと火がついている。海には猫のほっしゃんもついてきた。昨日、家の周りを大きく散歩したときもずっとついてきていて道路を渡るときなどもひやひやした。オンと同じ黒い毛だが丸っこくプニプニ歩く姿がかわいいのだ。海にもついてきて、砂浜を歩く猫はあまり見たことないなと思っていたらやっぱりちょっと警戒しながら入っていった。すぐに慣れてアダンの木の上に登ったり、つめを研いだりする。
家の前の海は大きな岩がごろごろしていて、潮が引いていたので遠くまで岩と緑の海苔と間に取り残された海水に魚が泳ぐ姿が見えた。僕は大きな岩によじ登り朝日が昇るのを待った。喜界島の上に薄く雲がかかりそこから真っ赤な太陽が顔を出した。気がつくとほっしゃんはすぐそばにいて僕がそのまま岩の上に横になると胸のうえに乗っかってきた。ぐるるると小さなエンジンが鳴るような音が胸に直接響いてきて真っ黒いはずの毛は太陽にすかされて赤毛になっていた。オンの姿が見えなくなって探すと大きな椰子の実をくわえてきて
「おーすげー!良くそんなもの見つけたなぁ」
バリバリと器用に皮をむくオンを見ながら
「オンすごいな、どんどんやれー」と声にだしてしゃべっているのをほっしゃんは横でじっと聞いている。
「あぁ、ほっしゃん、気持ちいいね、海は最高だね」と語りかけ、ついでに
「ねぇ、ほっしゃん、ねずみって美味いの?」と聞いてみた。ほっしゃんは何も答えない。代わりに寝ている岩の右の後ろのほうから大きなハブがぐるっと前に現れ、黄色い目を光らせたあと、首もとにガブリと噛み付いてきた。僕は松田優作みたいに「なんじゃこりゃー!!」と言って、あぁ、そんなもんか、これが結末か、まぁそれも仕方ないな・・・と妄想したところで我に帰る。犬や猫としゃべっていても誰も聞いている人はいない。おならも堂々とできる。実際ブッとやったら、ほっしゃんがびっくりした顔でじっとみていたので
「失礼、ほっしゃん。おならしても嫌いにならないでね、ずっとついておいでよ」と声をかけておいた。

上野

まだ続く出張の話。
三日間とも天気が良くそんなに寒さを感じなかった。最終日はアノニマスタジオのある蔵前まで行き、そこから靴の中村さん、classicoの高橋さんに会いに谷中に行く。
途中、地下鉄を御徒町でJRに乗り換えるときにふと思いついて上野まで歩いた。
昔、良く食べた店でお昼にしようと思ったからだ。御徒町からずっと線路沿いを歩いたがアメ横は全く変わってない。雰囲気も売っているものもきっと細かく見たら違うのだろうがほぼそのままある気がした。お目当てのレストランは残念ながら居酒屋に変わっていて、そのかわりすぐ近くのガード下の屋台のような店、その名も珍々軒に入りチャーハンを食べた。そこもよく通った店で味も値段も当時とまるっきり同じだった。昼間からスーツにステンカラーのコート姿のおじさんがお酒を飲みながらギョーザや野菜炒めを食べていて厨房のおじさんのフライパンをカッカッと鳴らす音とおばちゃんの「はーいまいど、いつもありがとね」と威勢良く響く声がにぎやかに入り混じっていて、換気扇から流れる湯気の行方を追うと線路の間の雲ひとつない真っ青な空に吸い込まれていった。20年前の僕も間違いなくそこで同じものを食べていたのだ。変わらずにあるってすごい。
そして勢いで丸井にも入った。無印が入っていたので地下に降りたのだが、天井が低く少し息苦しい気がした。僕がいた頃は社員食堂と休憩室だったはずだ。
今現在目に見える風景よりも思い出のほうが遥かに輝いていて、建物や街並みが変わらずにそこにあるぶん、余計に懐かしさと同時に簡単に流れ去ってしまう時間の残酷さを思う。