昨日は久しぶりの雨。一日中降っていた。まっすぐサーッと降る雨で静かで落ち着いた一日。おとといはずっとPCの前にいて肩が凝り、昨日は変わりにずっと本を読んでいて、5時間くらい椅子にすわったまま一気に読んでしまったが、その間誰も来なかったのも雨だから仕方ないと暇な店のいいわけとなる。夜、父方の祖母が亡くなったことを知る。もう何十年も会ってなく思い出すのは「男は泣いたら駄目だよ、涙はばーちゃんが死ぬときまでためとかんとな」と幼い頃に言われたことで、いつかその日が来ることは怖くて悲しくて仕方なかったが、僕はいまだに涙がでない。そのことがよっぽど悲しい。
旅立ち
山の上の分厚い雲の中にようやく太陽が隠れたので植物に水をあげようと店の外にでると道路の向かい側にグレがいた。目が合うとちょっと口を三角にして威嚇しそうな顔をしたので何か変だなと思いながらも家に向かうとちょうど子猫たちが移動する最中で、僕に気づくとまたくっついてきて家のテラスに戻ってしまった。すぐにグレがすっ飛んできて「ジャマすんニャー!!せっかくそこまで引っ張ってきたのに台無しじゃないカー!(たぶん)」と怒られた。子猫たちはまだおっぱいも飲むけれど、もうキャットフードもボリボリ食べるようになっていて、昨日の晩なんてグレのためにとっておいた魚の頭を奪い合って食べていた。そのときはニャーなんてかわいい声ではなくてグルゥグルゥと低くうなるような声をだしながら食べていて少し怖いくらいだった。一緒に丸くなって寝ているときのかわいさと他を寄せ付けない野生の本能の強さのギャップに驚いた。いよいよお別れの日が近づいてきたみたいだ。
真っ白
涼しい。がんがんに晴れていても、風がそよそよと爽やかで気持ちいい。ちゃんと長袖長ズボンだ。
一人暮らしのとき、ずっとやっていたので洗濯は今でも時々自分でする。
しまってあった白い服は黄ばんでいたりくすんできたりしていて、それをまとめて洗って干した。
いっぺんに落ちなくても何度か洗っていくうちに白さを取り戻す。
全自動の洗濯機に放り込むだけなのだが、それでも洗剤の種類によっても効果は違うからといろいろと試してみたり、どれとどれを一緒に洗うか、どうやって干すかなどいろいろとこだわる。でたまにけんかする。
今日みたいな日は絶好の洗濯日和で白く光って風になびくシャツをみるのは気持ちよくちょっとしたストレス発散にもなる。
お互いに自分でやりたくて仕方ないのだ。
クロクロマーチ(セピア)、シマシマーチ(カラー)、クロッケ、ほっしゃん
朝、暑くて我慢できなくてではなくて、寒くてタオルケットを肩まで引っ張ってもう少し眠っていたくなる感覚で目が覚めるようになったのが嬉しい。今朝はテラスでグレだけじゃなくてチビたちも一緒に待っていた。おっぱいを飲みながら。産まれて一ヶ月が過ぎ自分で箱から出てきてからはどんどん活動が激しくなり、今では濡れ縁によじ登りテラスにも飛び乗ってくる。家の中にもどんどん入ってくる。
グレはおっぱいをあげる時にもう押し倒されてもみくちゃにされおっぱいがちぎれてしまいそうなくらいの勢いで(実際一個無くなっている!)寝る暇もなく命がけで育てているみたいだ。さすがに疲れたのか昨日は久しぶりに一人(一匹)で家の裏で寝ていた。今はおっぱいの争奪戦も収まり、半分居眠りしながら5匹で固まって静かに横たわっている。眺めながら猫には猫の暮らしがあり、このまましばらくすると親離れしてまたそれぞれの縄張りを持つのだろうが今は親、兄弟のぬくもりをいっぱい感じて生きているのだなと思う。
車のライト2回チカチカは・・・の合図
用事を最小限に抑え、なるべく出かけずにのんびり過ごす予定だった昨日のお休み。天気がよかったのでいつものように布団を干したり、掃除をしたりした後、ビデオに録画した『フラガール』を観ようとしたが、相棒に夜にのんびりみたいと言われ、それならば今日が返却日だからと唯一出かけなければいけない用事で、夕方涼しくなったら行こうと思っていた図書館に早めに行くことにした。
いつものように本をまとめて借り、ついでにスーパーで買い物をして帰る途中、検問に引っかかった。助手席のシートベルトだ。「いつもはしているんですよね~?今日はたまたまだったんですかねぇ、残念ですが切符を切りますね」と若いおまわりさんに先回りして言われる。違反は違反。しょうがない。言い訳などせず、素直にゴールドの免許証をだす。でも相棒が思わず口にした「ツイてなかったねぇ」が本音だ。ハンコなど持ち歩いていないから違反しましたの署名の横に拇印をとられた。汚れた人差し指をどうしようかと思っていたら、ここで拭いてくださいと差し出されたのはメモ帳で、端っこにゴシゴシこすりつけたがまだ汚れたままだ。そんなことより腹が立ったのはその検問の場所で、奄美パークの目の前の高いお金を使って整備した割りに全然たいした事なく、やる必要は無かったんじゃないの?とたまたま前の日も車で通ってみたあの海沿いの道路で、確かに「はい、ここに寄って車止めてくださーい」とやるためには最適の場所なのだが、あまりにも皮肉だ。使い方間違えてる。
名瀬に店があった頃、目の前の通りを運転しながら堂々とケータイを使うドライバーをしょっちゅう見かけた。取り締まるならそこだろと後からどんどん悔しくなった。シートベルトめって思うのも変だけど、なんだろうなぁこの怒りは。
せめてこれを読んだ方が捕まりませんように、いや違反しませんように・・。(夜中に目が覚め思い出して悔しくて寝れなくなってしまった)
へなちょこ菜園
庭のナスが魔法みたいに花から実に変わるのを見た。
朝晩水をあげているだけで肥料などは一切与えてないのによくこんな細い茎、小さな花から立派なナスができるものだといつも不思議に思っていて、しぼんだ花からいつの間にかひょっこり実が現れてそして風船が膨らむようにどんどん大きくなっていく。どんな野菜もそうなのだけど、いったいどこからこんな栄養のある実を作るのか、自然の恵みって凄いと感謝しながらいつも美味しくいただいている。
先日、一個だけできたピーマンが茶色くなってきていて、あーもう腐ってきた、早く収穫しなきゃと鋏をいれて台所に持っていった。なかなか料理されずにそのまま置いてあってどんどん茶色くなっていくので「もう駄目だよね、捨てる?」と聞いたら「なんで?赤ピーマンになるんだよ」って言うから「え~赤いのはパプリカじゃん。これは種類が違うんだよ」と笑っていったら「そうなの?」と不思議な顔をされた。何日かして近所のおばちゃんがピーマンをざるにたくさん入れて持ってきてくれてその中にグリーンのと混ざって真っ赤なやつと茶色の腐ったみたいなやつがあったので「おばちゃん、この茶色は何?」って聞いたら「あげ!これもピーマンじゃがね。太陽のおかげで真っ赤になるんだよ。これはその途中。」と教えてくれた。種類が違うとばかり思ってたのに、緑のピーマンが熟すと赤になるなんて43年間知りませんでした。
『映画篇』
作者も内容も全く知らないで借りてきた本で映画のタイトルがついた短編のそれぞれの登場人物が実は同じ映画を同じ場所で観ているという形でひとつのまとまった話になっている。
僕自身、映画館を回って好きな映画をみることができなくなってからだいぶ経つ。たまにレンタルビデオやTVで観たりしているが本来、映画は映画館で観るものだ。今回僕がタイトルに惹かれて借りてきた本は、映画の役割、大げさに聞こえるかもしれないけれど人の人生に映画がどれだけ大きく影響しているかを改めて教えてくれた気がする。世の中普通に生きているだけでもいろんなことが起きる。自分の物語だけで大変かもしれない。でも映画の魅力は、たとえそれが作られたものであっても一瞬その世界に入り込むことで自分以外の人間の物語を体験できることだと思う。それは本を読むことでも可能なんだけれど、でもあの大きなスクリーンから目や耳を通して伝わってくるものは現実の世界の数倍も迫力があり、例えばジョーズなんて本当に自分が海に浮かんでいて回りにあんなでかいサメがいることを活字で読んだって怖くないが映画館はそのまま海に変わる。トップガンだって戦闘機に自分が乗ることは100%一生ありえないのにトムクルーズと一緒にギリギリの曲芸をやってみたりする・・とそんな派手な映画じゃなくても心に残る映画はたくさんあり、この本は読み進んでいくうちにいろんな映画を思い出させ、ひとつひとつの話はその映画以上に魅力的で、これをまたさらに映画化するとしたら大変だろうけど是非観てみたいと思った。
『映画篇』金城一紀 いっぺんにファンになってしまった。置いてあった笠利の図書室に感謝。(本は誰がどうやって選んでいるのか今度聞いてみたい)
そしてこれはちゃんと買うつもり。
食堂
朝晩のひんやりとした空気が嬉しい。いつもは三食きちんと家で食事を摂るのでめったに外食はしないのだが、昨日の休みはお昼を外に食べに行った。いつも行く図書館(公民館)の手前の道の奥のほうに小さく営業中の看板だけが見えていてずっと気になっていたところで、先日お客さんからもタイミングよくオススメされたので思い切って行ってみることにした。通りに面してないから普通ならば絶対に見つけられない場所にあるその食堂は緑に囲まれた一軒屋でまさに穴場!の店だった。メニューは迷ってしまうくらい豊富で僕はやっぱりのオムライス、相棒はチャンポンを頼んだ。期待通りの味(オムライスはちゃんと焼いた卵に赤いケチャップが一番)で大満足。子供の頃、島の食堂は何でも揃っているのが魅力でラーメンと寿司、親子丼と餃子とか普通は一緒に食べれない組み合わせが楽しく一見バラバラで何でもありに見えるが、いまどきの安っぽいフードコートなどとは全然違ってちゃんと食堂の味としてまとまっているから本当に大好きだった。何を頼んでも必ずタクアンが付いてくるし。大きく宣伝することもなく、だからといって目立たないことを売りにするわけでもなく、ずっと変わらずにそこにあり続けお客さんに喜ばれる店、いいなあ。今思い出したけど、同じ味のオムライスの食べれる店が吉祥寺にもあります。よしの屋という名で何十年も変わらない昔ながらの食堂でそこも永遠になくなってほしくない大切な店。
名月
今日から10月。毎日書こうと思っているのにこんな月の変わり目みたいな区切りでしか書けないのが情けない。関東地区で一日の最高気温18℃に驚いた。同じ日(今日も)店のエアコンについている温度計は34℃を示していた。エアコンが効いてやっと29℃だ。まだまだこんな感じの日が続くらしいが奄美にもいきなり冬が来るのだろうか。今はセーターなんてとんでもないんだけど。昼間の日差しが眩しすぎて目が疲れる。夜は真っ暗になるから昼と夜の差がちょっと激しすぎるのだ。ちょうどこの時間の太陽が山陰に隠れて、薄ぼんやりとした明るさになるとほっとする。旧暦の十五日、白くて大きな月が綺麗だったのでなんとかカメラに収めてみたが、僕のデジカメではこれが精一杯。
昨日の夜も3時半頃に目が覚めてしまい、テラスに出て空を眺めた。オリオン座の横に月が出ていて明るかった。
月明かりの景色というのはセピア色の写真や水墨画みたいで黒い空にグレーの入道雲がはっきり見えてまるで昼間の風景からそのまますっぽり色を抜き取ったみたいだった。波の音と虫の鳴声だけが聞こえ、月と自分の間の雲がゆっくり流れているのだけが時が動いてる証拠だった。