吾輩はノラなのだ

ずっとごろごろと雷がなっていて、ぱらぱらと雨が落ちてきたかと思ったらカメラのフラッシュみたいな稲光に続いてドーンと凄い音がした。結構近い。どんどん暗くなって目覚めた時間よりも今の方が暗い。明け方じゃなくもう日が暮れそうな感じだ。空と海の境は白い波が動いてるからそこが海だと分かるけれどまったく同じ色で見分けがつかない。すっぽりと幕をかけられたみたいに湿った色になった。猫のシマ吉が雨から逃げるように縁の下を通って家の裏に隠れた。朝に見かけるのはめずらしい。夜は時々ご飯を食べにくるので、その度に頭をなでたり、話しかけたりするのだけど、本人(猫)は全くマイペースで全然媚びたりもせず、それどころか昨夜なんてご飯を食べた後にくるっとお尻を向けたかと思うとお茶碗に向かってピュッとおしっこをひっかけた。何か意味があるのだろうが、裏切られたようでちょっとショック。
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時々、夏!

今日は旧暦の3月1日。奄美では明後日の19日(旧3/3)が海開きだそうだ。
あまりにもいい天気だったので写真を撮りまくった。
天気予報、昨日が晴れの予報だったのに雨になったし、あてにならないけれど明日は雨の確率80%。今日は貴重な一日だけの晴れの日になりそうだ。本当にこの時期の天気は一日でころころ変わる。
子供の頃から強く感じていたのは南国独特の夏の太陽のまぶしさ。奄美の夏の日差しは強過ぎてまともに目を開けられないからいつも目を細くしていた。学校の校庭やグラウンド、自転車での帰り道、その横を流れる川も後ろの濃い緑の山もみんな陽に照らされてまぶしかった。また家の窓から見る外の景色も光があちこちで反射していろんな色が生き生きと映り、庭の小さな池の水面が天井に作るゆらゆらした模様をを眺めながら昼寝をするのは至福の時間だった。野球やプール、友達と遊ぶのが楽しくて仕方なかったから宿題なんてやったためしがない。子供ながらにここで生まれて本当によかったと感謝しながらたくさんの夏を思いっきり遊んで過ごしてきた。だから最近お客さんに「また焼けてませんか?なんだかずっと黒いですよね~」と言われるとちょっとにんまりとしてしまう。
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ずっと紹介してなかったので載せました。夏がぐっと近づいた今日のairyです。

光陰矢のごとし

最近お休みは天気が良い日が続いていたのに今週は予報も外れ、火曜も水曜もスカッと晴れてはくれなかった。それでも雨は降らなさそうだったので今度は奄美パークよりもっと先の運動公園まで歩いていくことにした。車では行ったことがあるが、歩いていくのは初めてでどのくらいの距離、時間がかかるかは分からない。車と同じ道はつまらないからとちょっと山の中に入ってみたら畑の中で迷い込んでしまった。来た道を戻り、また大きな道路にでる。もうすでに運動公園まで行く気力は無くなり、途中で見つけた無人販売のキャベツを買って帰ることにした。舗装された長い直線の道路が山から海まで続いていてその先の喜界島を眺めながらのんびり歩く。目の前をプロペラの飛行機が飛んでいった。空港の前の道路からそのまま海沿いを歩いていけばうちに着く。歩いているのは僕らだけですれ違うのはみんな車だ。くたくたになって家に着くと見慣れたテラスや横の駐車場がやたらと小さく見えた。夕方は録画したままたまっているビデオの中から「男たちの大和」を観た。長渕剛の歌のイメージが強くあまり劇場で観たいとは思ってなかったのだが、船の上の戦闘シーンは凄かった。戦争は今から60年前の話でも実は僕が生まれるたった17年前の話なのだ。子供の頃に祖父から聞かされても大昔の話のような気がしていたが、祖父にとっては本当についこないだの話だったんだと今頃になって気が付いた。人生は短い。親、子、孫と三世代(あるいは四世代)が一緒にいられるのは本当に貴重な時間で時代がずっとつながっている証であり、それぞれに重なる時間、共に生きている時代を大切にしなくてはと思う。

海の色まで曇る日

どんよりとした重たい雲に包まれて、窓の外はすべての色が薄められた水彩画のような景色。海の色も鉛のようなグレーだ。風も強く電線がビュービューと音を鳴らす。時折、電柱の上で火花がジッジツと散る音もする。朝は明るくなった頃に目が覚めるが大体が夢を見ていて、起きてすぐはその中身についていろいろと考える。夢だからちょっとありえないことが多いけれど、それでも夢をきっかけにいろんなことを思い出す。頭の中で何十年分かの時を一気に行ったり来たりするような感じだ。もし、僕も平均寿命まで生きられるならまだまだ半分を過ぎたとこなのに、もうおじいさんになってしまったような(昨日の夢は僕より若い父が出てきた)そんな人生を振り返るような思いばかりが湧いてくる。もしかして見た目が急に老けるのはこんなときなのかもしれない。年をとっても無理に若作りするつもりは無いので少しずつ自然に枯れていけばいいとずっと思っていたが、こんなことを書いていること自体弱気だ。それぐらい暦の上ではもうすっかり春のはずなのに心は今日の景色と同じでまだ冬のまんまだ。